料理と食料のあわい ※蔵出し
まあとにかく金を遣わないことで有名な彼の家に、泊まったことがある。まあ正確には、翌日目が覚めるや逃げ出した。
金を遣わないと言ったが、どの友人に訊いても彼が人づきあいに支障をきたした話はない。顔を出した飲み会では割り勘分をちゃんと払っていたし、講義の教科書類も自力で工面していた。金の無心をされたことももちろん皆無である。
ただ、全く自分のプライベートな部分ではとにかく金が出て行かなかった。というより、こだわらなかったのだと思う。
着ているものは年間三百六十五日(うるう年は三百六十六日)上から下までユニクロで統一され、学食で頼むのはいつも野菜ジュースとかけ蕎麦、たまにちくわの磯辺揚げが乗っていた。ブックオフと図書館をこよなく愛し、出て行く先も公園だの併設の無料こども動物園である。
* * *
そんな彼のアパートに泊まったのは四年の夏だった。たまたま彼と同じ路線に実家があった僕は、ゼミの飲み会の後でうっかり終電を逃し、ぎりぎり徒歩で帰れる彼の家に転がり込んだ。
しこたま呑んでいたせいか塩味が無性に恋しくなり、近くにコンビニが無いか彼に訊いてみた。すると、作りおきの料理でよければすぐ出せるという。
酔いのせいもあり、「一人暮らし」の底力と彼の人間性にいたく感じ入った僕はその話に飛びついた。すると、彼は冷蔵庫から電気釜の釜部分(!)と鍋(!)を取り出し、ごそごそと何かを始めた。
見間違いかなと眠い目をこすった僕の前に、電子レンジの音と共に差し出されたのはドンブリだった。どうやら飯を炊いた釜と料理を作った鍋をそのまま冷蔵庫に突っ込んで、毎晩要るだけ出しては丼物に仕上げているらしい。
飽きないのか、と聞くと、まあ一週間だから、という返事。
それにしても、ドンブリの中身の色合い。どう頑張っても黒、白、茶色とそれらの中間色しか見えない。飲み過ぎたかなといぶかりながら料理名を尋ねる僕に、彼が説明してくれた。
「特段名前はないよ。ナスとじゃがいもと椎茸と白菜、それからササミと手羽先を炒め煮にして、ブイヨン入れただけ。最後にトロロは足したけど」
ああ、視界に緑黄色が見えないのはそういうわけか。
だが、そう聞くといかにも旨そうな組み合わせだった。ナスも手羽先も食材として有名な割には案外思いつかないし、仕上げにトロロが乗ってるあたりなんか、さすが料理慣れしている。気がする。
実際、見た目に反して味は大変によかった。そんじょそこらのラーメンなど物の数ではない。作りおき三日目とかで、そういえばカレーなんかでも一番旨いあたりだ。
感動のあまり、うっかり要らないことを僕は訊いた。酔いのせいで忘れていたのだ、彼の習性を。
なんでそんな組み合わせにしたんだ?
「ナスと山芋は先週、八百屋で一かご100円だったんだ。あ、ナスは一個腐ってたから、もう一かごサービスしてくれたなあ。白菜とじゃがいもはその前からあった気がする。肉と椎茸は先月、スーパーの見切り品で買い置いて冷凍しといた。米は実家から送ってきたやつだけど、冷蔵庫のだいぶ奥から……」
酔いもぶっ飛ぶ衝撃。
いろいろなものが一時にこみ上げ、僕は目を白黒させた。待て、ちょっと待て。じゃ、新しいのはなんだ。水とブイヨンだけか。
「ブイヨンもおととしのだなあ」
…………。
まあ、百歩譲ってブイヨンはよしとしよう。しかし、そうなると水の方も怪しい。
「……あ、浄水器のフィルター、入居以来換えてないや」
脳内をどうひっくり返しても、こいつが入学以来引っ越した記憶はない。スポーツカーの爆音レベルで耳鳴りがした。いや、案外僕の胃袋が鳴っていたのかもしれない。
とりあえず、この家にバケツか洗面器があるかどうか考えたところまでは覚えている。
* * *
はっと目が覚めるとカーテンは明るく、無造作にしかれた布団の上にひっくり返っていた。隣でむくりと起き上がった彼が「朝食」を出してくれようとしたが、生物としての本能で瞬間的に前日の記憶を取り戻した僕は全力で辞退し、明らかに大袈裟過ぎる礼を言ってアパートを飛び出した。
その後の二日ばかりを不安とともに過ごしたが、とりあえず腹を下す兆候もなく、今日に至るまで平穏無事に生き延びている。
だが、ナスの各々一かご分を、その後僕は近所の八百屋で目にした。一かご、約十個。一人暮らしで週一回、鍋いっぱいの料理を作るとしても、他の食材も入るから、一度に使えるのはせいぜい三個か四個である。で、あいつ、二かご買ったって言ってなかったっけ。
買った時点で見切り品だったということは、使い終わりは。さらに食い終わりは……
だがそれについてはもう、僕の宇宙の範疇外だ。
金を遣わないと言ったが、どの友人に訊いても彼が人づきあいに支障をきたした話はない。顔を出した飲み会では割り勘分をちゃんと払っていたし、講義の教科書類も自力で工面していた。金の無心をされたことももちろん皆無である。
ただ、全く自分のプライベートな部分ではとにかく金が出て行かなかった。というより、こだわらなかったのだと思う。
着ているものは年間三百六十五日(うるう年は三百六十六日)上から下までユニクロで統一され、学食で頼むのはいつも野菜ジュースとかけ蕎麦、たまにちくわの磯辺揚げが乗っていた。ブックオフと図書館をこよなく愛し、出て行く先も公園だの併設の無料こども動物園である。
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そんな彼のアパートに泊まったのは四年の夏だった。たまたま彼と同じ路線に実家があった僕は、ゼミの飲み会の後でうっかり終電を逃し、ぎりぎり徒歩で帰れる彼の家に転がり込んだ。
しこたま呑んでいたせいか塩味が無性に恋しくなり、近くにコンビニが無いか彼に訊いてみた。すると、作りおきの料理でよければすぐ出せるという。
酔いのせいもあり、「一人暮らし」の底力と彼の人間性にいたく感じ入った僕はその話に飛びついた。すると、彼は冷蔵庫から電気釜の釜部分(!)と鍋(!)を取り出し、ごそごそと何かを始めた。
見間違いかなと眠い目をこすった僕の前に、電子レンジの音と共に差し出されたのはドンブリだった。どうやら飯を炊いた釜と料理を作った鍋をそのまま冷蔵庫に突っ込んで、毎晩要るだけ出しては丼物に仕上げているらしい。
飽きないのか、と聞くと、まあ一週間だから、という返事。
それにしても、ドンブリの中身の色合い。どう頑張っても黒、白、茶色とそれらの中間色しか見えない。飲み過ぎたかなといぶかりながら料理名を尋ねる僕に、彼が説明してくれた。
「特段名前はないよ。ナスとじゃがいもと椎茸と白菜、それからササミと手羽先を炒め煮にして、ブイヨン入れただけ。最後にトロロは足したけど」
ああ、視界に緑黄色が見えないのはそういうわけか。
だが、そう聞くといかにも旨そうな組み合わせだった。ナスも手羽先も食材として有名な割には案外思いつかないし、仕上げにトロロが乗ってるあたりなんか、さすが料理慣れしている。気がする。
実際、見た目に反して味は大変によかった。そんじょそこらのラーメンなど物の数ではない。作りおき三日目とかで、そういえばカレーなんかでも一番旨いあたりだ。
感動のあまり、うっかり要らないことを僕は訊いた。酔いのせいで忘れていたのだ、彼の習性を。
なんでそんな組み合わせにしたんだ?
「ナスと山芋は先週、八百屋で一かご100円だったんだ。あ、ナスは一個腐ってたから、もう一かごサービスしてくれたなあ。白菜とじゃがいもはその前からあった気がする。肉と椎茸は先月、スーパーの見切り品で買い置いて冷凍しといた。米は実家から送ってきたやつだけど、冷蔵庫のだいぶ奥から……」
酔いもぶっ飛ぶ衝撃。
いろいろなものが一時にこみ上げ、僕は目を白黒させた。待て、ちょっと待て。じゃ、新しいのはなんだ。水とブイヨンだけか。
「ブイヨンもおととしのだなあ」
…………。
まあ、百歩譲ってブイヨンはよしとしよう。しかし、そうなると水の方も怪しい。
「……あ、浄水器のフィルター、入居以来換えてないや」
脳内をどうひっくり返しても、こいつが入学以来引っ越した記憶はない。スポーツカーの爆音レベルで耳鳴りがした。いや、案外僕の胃袋が鳴っていたのかもしれない。
とりあえず、この家にバケツか洗面器があるかどうか考えたところまでは覚えている。
* * *
はっと目が覚めるとカーテンは明るく、無造作にしかれた布団の上にひっくり返っていた。隣でむくりと起き上がった彼が「朝食」を出してくれようとしたが、生物としての本能で瞬間的に前日の記憶を取り戻した僕は全力で辞退し、明らかに大袈裟過ぎる礼を言ってアパートを飛び出した。
その後の二日ばかりを不安とともに過ごしたが、とりあえず腹を下す兆候もなく、今日に至るまで平穏無事に生き延びている。
だが、ナスの各々一かご分を、その後僕は近所の八百屋で目にした。一かご、約十個。一人暮らしで週一回、鍋いっぱいの料理を作るとしても、他の食材も入るから、一度に使えるのはせいぜい三個か四個である。で、あいつ、二かご買ったって言ってなかったっけ。
買った時点で見切り品だったということは、使い終わりは。さらに食い終わりは……
だがそれについてはもう、僕の宇宙の範疇外だ。