去年の枯れ草レーキに重く農業日誌はまだ白紙
それも飛躍だそこから逃げるための助走でかまわない
カエルの背中が犬そっくりで轢かぬようにと避けていく
そんな大したことない深手布団かぶって丸くなる
危険信号世界の中で私が絶対正しい日
なんと可愛いわんわんでしょう同じ座椅子にいる至福
空き家掃除の道のり遠くゴミのスプレー噴いて虹
長い寒さをまた這い抜けた身体がみしみし伸びて春
中卒高卒みなシゴデキで重くて仕方のない学位
会える約束また空振りで雨にぼんやり山桜
おやおや靴下あらあらリュック元気に落ちてる児童館
卒業したよと言う目の端でやっぱ眩しいシール帳
歌が聞こえた今際の際に命全てをこじ開けて
花が咲いてるこの世の果てにそこが初めの地であった
君は生まれた地獄の中に燃える荒野を踏んでゆく
ホットケーキを焼き上げながら日の出待ってる5℃の部屋
隙間が好きだ。
ガラス戸と大きなカーテンの間に身をすべり込ませ、薄皮一枚の向こうで笑いさざめく家族の声を聞くのが好きだ。時折カーテンを細く開け、人々を覗くのが好きだ。
プレゼントや手紙が大きく開かれる寸前が好きだ。その暗がりの中に、入っているはずのものが形も知れず、それでもじっと在るのが好きだ。
ランチタイムの教室で、かしましい食器の音や喋り声が偶然ぱたりと途絶えるのが好きだ。誰もが事態を感知してどっと笑い出す直前の、何秒とも数えらえぬ間に満ち満ちる静寂が好きだ。
路地裏。細く開いた扉。一冊だけが抜き取られた本棚。人の途切れる時間帯の公園。ノートの文字の行間。
そこを通ってゆくのが好きだ。
そこに身を収めるのが好きだ。
そういう存在として生まれた。
気づいたらそういう存在だった。人間や他の生き物が私を何と呼んでいるのか、私のような者が他にいるのかは分からない。
それでも、この私が収まれる隙間はこの世に無数に発生し、私はそこに心地よく在る。そのさまは私以外の何者にも感知されないが、私がみんなの意識の隙間にいる存在だというなら、それは何より快いものだ。
※ン年ぶりに食べた出来たてポップコーンが大変美味しかったので。
問題1
マヤの王様は大変忙しいお役目で、休憩時間にポップコーンを召し上がるのが何よりの息抜きでした。このポップコーンをもっと楽しみたいものだと考えられた王様は料理長をお呼びになり、こうお命じになりました。
「一年間、毎日違った味付けのポップコーンを出してくれ。調味料は何種類使っても構わぬ。ただし、毎日必ず調味料を一種類は使うように」
さあ、マヤの一年を365日とすると、毎日違う味のポップコーンを出すには、最低何種類の調味料が必要でしょうか?
実は算数苦手なのでできれば誰かに検算してほしい一応の計算式
各々の調味料について、使う/使わないの2択が存在し、それが調味料の種類数だけ分岐するため、2択×調味料の種類数 を求める。ただし「全ての調味料を使わない」という1パターンは除くこと。
・8種類 2×2×2×2×2×2×2×2-1=255通り
・9種類 2×2×2×2×2×2×2×2×2-1=511通り
なので、最低9種は必要。何のひねりもなかった!
問題2
王様は大変満足なさり、周りの六つの国の王様方を招いてポップコーンパーティをなさいました。どなたもポップコーンが大のお好きで、味については一家言お持ちだったので、この方式を大層気に入られ、七つの国の調味料を持ち寄ればもっとたくさんの味を楽しめるという話になりました。一人の王様が「これはもしかすると、一生かかっても食べきれないかもしれぬ」と述べられ、大笑いになりました。
さて、マヤのカレンダー・ラウンド(365日×52年、うるう年無し)を人の一生と仮定した場合、
・7カ国それぞれが、独自の調味料1種類を出す
・問題1に出てきた9種類の調味料のうち上記以外は、全ての国に存在する
・生まれてから死ぬまで52年間、毎日食べるものとする
……という条件では、1日何種類のポップコーンを食べれば、全部の味付けを味わえるでしょうか?
(前略)一応の計算式
調味料の総数は、全ての国にある8種類+各国独自の7種類=計15種類。味の組み合わせは問題1と同じ方式で、
2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2-1=32,767通り
いっぽう、人間の一生は、
365日×52年=18,980日
よって、1日に食べる味付けは、
32,767÷18,980=1.7264…
1日に2種類食べればよさそう(ついでに、10日に1回くらいは休めそう)。
……ただし、王様たちはみんな大人になってしまっているので、一生の日数−これまで生きてきた日数 で計算しないといけない。大変だ!
鏡の中には鏡の世界があるわけだが、現実側から覗いた鏡の世界の奥行きは、鏡の置かれている位置が起点となる。そのため、鏡の位置が変われば鏡の世界と現実の世界との重なり方は異なってくる。つまり、鏡と現実との境目=鏡面=この世に存在しうる平面の数nだけ、鏡の異世界が存在しうるわけだ。
ここで現実世界も含めた世界の総数n+1のうち、自分はどの世界に入ったのか、さらに現実世界もまたn個ずつ存在するとすれば自分は2n個の異世界を転々とし続けているのでは、いや鏡写しの世界が反復増殖を続けているなら自分の移動する世界の総数は2n ∞なのではと、小さいアリスは疑い始めている。
人の一生分の髪を全て繋げた長い長い一筋を持たされている。周囲は天地とも灰色で、柔らかいようでも味気ないようでもある。暑くもなく寒くもなく、音もなく静かでもなく、周囲を遠くに囲む地平線のほかは、手元にただ一筋の髪があるきりである。
この髪を手繰ってずっと歩いている。初めに持たされた一端は赤ん坊のそれだったか、蜘蛛の糸よりやわい手応えで空恐ろしかった。たどるほどにそれは次第に黒く、丈夫になっていき、稀に茶色くなったり白が入ったりしながら、今、手の中には艶やかに黒い一筋が続いている。
先を見はるかすと、髪の先端は地平線のずっと手前で消失しているかのようだ。が、それは単に見えないだけで、実際の髪はまだどこまでも続いているのだと私は知っている。
ふと髪から手を放し、一歩離れてみた。さらに二歩、三歩。
髪が視界から消える。周りには地平線が一本きり。
動悸が心なしか早くなった気がし、私は早足で三歩戻った。しかし髪は見当たらず、体内の心臓の音がさらに大きくなる。深呼吸し、空中をそっと手で探る。探り、探り、ようやく手の甲が細い一筋を捉える。深く息を吐く速度でそれを手に収め、再び歩き始める。――こちらの方向で良かったか? ふと余計疑惑が脳裏をよぎり、いやいやこちらしか有り得ないという事実を自分に言い聞かせる。
この旅の終着点、つまりこの髪の持ち主がいくつまで生きる/生きたのかを私は知らない。彼/彼女のことも、果たして私と縁続きなのかどうかも私は知らない。髪はただ一方的に私の道を示し、あくまで黒く艶やかだ。
たまたま入った雑貨屋の棚のスノードームの中では、赤い毛糸帽に青いジャンパーの小さな男の子が無邪気に両手を差し上げ、その上へ音もなく雪が落ち続けている。
ドームに触れてもいないのに、雪は後から後から降り、止む気配もない。そういうものなのだ。
背後のカウンターの店主は物音ひとつ立てない。私は棚の前に棒立ちで、目の前の小さな世界をただ眺めている。
ガラスの中の男の子は、豆粒ほどの顔いっぱいに笑っている。雪が大好きなのだ。雪粒を捕まえようと上へ伸ばす両手には、帽子とお揃いの赤いミトン。青いジャンパーとズボンには自動車のアップリケが入っている。
そして、中に着ているセーターはベージュ色で、馬の模様が入っているはずだ。見えないが、間違いない。
私が編んだからだ。
この世のどこかの店に、死者たちの生前の姿をうつした物が並ぶと聞いたことがある。
スノードームの男の子は私の息子だ。
見間違いようがない。
ただし、昨年私が家を出てして以来、一度も会っていないのだ。
この子の姿が、こうしてここにあるということは……
はっとした。
スノードームの中、男の子の後ろ。
同じくミニチュアの標識に書かれた、歩道の名前。
私は店を飛び出した。
* * *
翌日のラジオニュース。雪でスリップして歩道に突っ込んだ車に撥ねられかけた幼児を間一髪で救ったのは、奇跡的に通りかかった別居中の母だったという。
それを聞き流し、雑貨屋の店主はスノードームを棚から下ろした。
丁寧に磨かれるスノードームは空っぽ――否、台座の裏には「水晶玉」とある。
帝国に併合された小国の宝石細工師たちは、恭順と慶賀のしるしとして地元特産の石を使ったネックレスを皇后に献上した。
様々な大きさの石が不規則に並んだネックレスの出来栄えは見事だったので、皇后は喜んでそれを受け、公の場でたびたび身に付けた。
その姿は旧小国の民の間で瞬く間に評判となり、皇后は一躍人気となった。
皇后は宴席を設けて宝石細工師たちを招き、礼を述べるとともに新しいネックレスを発注した。
皇后が直々に石の並びを考えたというその意匠に、細工師たちは青ざめた。――皇后は口にこそしていないが、実のところ、最初のネックレスの石の並びは不規則どころか旧小国の国歌の歌詞を置き換えたものであり、今度の発注は帝国の国歌だったのだ。
客人たちの顔色を見てとった皇后は美しく微笑み、難しいならこちらでもよいと言ってもう一枚の意匠……旧小国の民謡の歌詞の並び図を出した。
細工師たちが固唾を飲む中、細工師長は確かに承りましたと微笑み、意匠図を二枚とも手に取った。
その後、ネックレスは一本だけ納品された。皇后は全ての細工師を立ち会わせてネックレスを確認し、その並びが帝国国歌であることを見て取り……さらに仔細に点検し、泰然と微笑した。
今度のネックレスの石そのものの並びは帝国国歌だ。が、石は一つ一つ、それぞれ中に異なる物質が混ざり込んだインクルージョンだった。その並びこそもうひとつの意匠、旧小国の民謡なのだった。
皇后は、見事である、褒美を取らせるであろうと述べ、ネックレスの石を貫く鎖を静かに引き抜いた。
訳を知らぬ側近たちは首を傾げたが、細工師たちは息を呑んだ。「鎖を抜く」とはそのまま、旧小国の言い回しで「自由の身とする」の意である。
その後、繋ぎ直したネックレスもまた皇后の御愛用となり、旧小国は自治領として長く続いた。
昔々、たいそうな神通力を持った猿がいた。自分にはお釈迦様だって敵うまいとうぬぼれたところ、お釈迦様はそれならここから出てみるがいいとおっしゃり、ご自分の掌を差し出された。掌はたかだか20センチに満たず、猿はそんな事は朝飯前とばかりに雲を踏んで飛び立った、それこそが大いなるミスディレクションで、20センチにたどり着くためには10センチにたどり着かねばならず、そのためには5センチにたどり着かねばならず、そのためには1センチにたどり着かねばならず、そのためには1ミリにたどり着かねばならず、そのためには1マイクロメートルにたどり着かねばならず、そのためには1ナノメートルにたどり着かねばならず、猿はいまだ掌の中にいる。
027:電光掲示板
中国の書道はいろんな色で書くんだって。習字の時間、半紙にドラえもんを描きながら隣の女の子が何気なく言った。
うそだ、そんなの。即座に返した。テレビで見るやつ、みんな黒い墨だよ。
でも、お父さんがおみやげで買ってきたもん。あたしの名前。
彼女は頬を膨らませて言い、次の日に本当に持ってきたのだ。
花文字というらしい。小さな額に入った一筆箋ほどの半紙。確かに色とりどりの墨で、何かの絵が集まっているように見えた。
――ほら、これが龍。これが蝶々。これが船。で、全部集まると「山田遥」。
ほんとに文字になっている。
ふうんと唸りながらひっくり返すと、それぞれの絵の意味が書いてあった。龍は海運。蝶は美しさ。船は成長。もともとは風水の書道なんだそうだ。
が、そんな意味よりも、墨が黒くないということ、文字は絵で描けるということが僕をとりこにした。
そのエネルギーのまま、放課後、二人で図書室に行った。
非常に実り多き時間だった。エジプトの絵文字は知っていた(ただヒエログリフという呼び名は初耳だった)が、マヤにも絵文字があった。絵の組み合わせでなく、絵の一つ一つが意味のある文字だ。ついでに商人たちの表記として、縄を結んだ目で数を表していたというから、これは書いてすらいない。
それから、アラビアの書道は筆でなく、ヘラのような葦ペンで、太さ細さは力加減なんだそうだ。ついでに二度書きもOKで、これは日本でもぜひ導入すべきだと意見が一致した。そして、黒以外のインクもあり、枠外に好きな模様を足すのもありで、どこが文字でどこが絵か、読めない僕らの頭をくらくらさせた。
――じゃ、ドラえもんだっていいじゃんな。
昨日の落書きを先生に見つかってこつんとやられていた遥は、僕の言葉に吹き出し、慌てて口を押さえた。
――そしたらさ、あたしたちの絵文字作ろうよ。それなら怒られないよ。
ふむ。考え込んだ。怒られないかどうかは別として、一応の筋は立つ。むしろ怒られたときにそれを出したら先生がどんな反応をするか、そちらが楽しみになった。
* * *
次の週、習字の時間。先生が回ってきたタイミングで僕らは同時に、隠していた半紙を広げた。
まずはそれぞれ、自分のフルネームだ。遥はさすが、ネットで調べた花文字が一枚。それから、ドラえもんやらキャラクターで描いたのが一枚。
僕のは乾いた筆で半紙に穴を開けたのが一枚、小石に一文字ずつ書いたのが一そろい。それから、猫のクッキーに無理やり捺させた足跡の半紙だが、こちらは逃げられたので失敗。
もちろん怒られた。が、遥が(鼻高々で)差し出したあの額に、先生はうーんと唸った。
――いいかい、文字には決まりごとがあるんだよ。みんなが読めるようにね。習字は、それを書くルールを学ぶところなんだ。ヒエログリフにも、たぶん花文字やアラビアの書道にも決まりはあるはずだ。
僕らはうつむいて考え込んでしまった。決まり。決まりか。確かに、自分以外の人に読めなければ仕方ないのだ。
けど先生は続けた。
――いや、先生はほめてるんだよ。ほら、一ヵ月後にタイムカプセルを埋めることになってるだろ? それに向けて、何かやってみないかい。
先生の目がいたずらっぽく笑っている。
……そうか。
* * *
ひらめいた僕らは一ヶ月、フルスピードで働いた。
タイムカプセルに入れたのは僕らの作った絵文字表。もちろん色鉛筆の色を全部使った。開封の五十年後までに、これを流行らせればいい。
ついでに、十年後までには、僕は遥に絵文字でメッセージを渡すつもりだ。中身は内緒。
047:ジャックナイフ
忌引きで休んだクラスメートが、なにやら丸い缶を片手に登校してきた。
キャンディー缶にも見えるがパッケージは白地に堂々と漢字で、明らかに、その、タバコの匂いがする。
「うん、これ、タバコ缶。じいちゃんの形見」
やべえ、クラスでトップレベルの真面目君がついにハシャぎよったか。とりあえず見せてもらおうと男子全員が取り囲む中で、奴は缶をオープンした。
「……何入れてんだよ、それ」
「うん、だからじいちゃんの形見」
「形見?」
オウムのように返すしかない俺に、奴は「形見」を一個一個披露してみせた。
「これ、アンモナイトの化石。こっちは肥後守。あと、こっちはカード型文具、外すとペンになるんだ。それから、国鉄の切符と、ミニトランプのキーホルダー……」
禁止品どころか安全物じゃねえか。全員の膝から力が抜けた。とりあえず奴の後頭部を軽くどついておく。
それより何より。
「そもそもお前、何しに持ってきたんだよ」
「まあ、何となく。面白そうだったんで」
再び全員が崩れた。確かに珍しいには違いない。
かくして休み時間が祖父さんの形見をさんざいじくった挙句の撮影会で終わり、俺が肥後守をスマホのロック画面の壁紙にした時。
「おや、懐かしいもの持ってるね、君」
いつの間にか来ていた古文のじいちゃん先生が目を細め、奴は照れくさそうな妙な顔で笑った。
* * *
放課後、僕は丸缶を手に、古文の野村先生のところへ行った。
「先生。ちょっと質問があって。……勉強のことじゃないんですが」
「うん、歓迎だよ」
先生の目は相変わらず細い。
僕は、カバンから丸缶……タバコ缶を出した。銘柄「飛鳥」。
「実は、亡くなった祖父の学生時代の日記が一冊だけ出てきたんです、捨て損ねたらしくて。そこにあすかさんって女の人の名前がでてきちゃって。祖母がその、ちょっとしょんぼりしちゃってて」
「ほう」
「この缶も形見なんですけど、同じ名前だから吸い続けてたんじゃないかって」
先生は僕が渡した缶を開け、注意深く中を見た。
「先生、あの、実は先生の名前も日記に出てて。もし何かご存知だったら、聞かせてくれませんか。じいちゃん無口で、そういうこと言わなかったから、だれもわからなくて」
と、先生が静かに話しだした。
「あすかは僕の妻なんだ。君のおじいさんは大学の先輩でね、彼女を取り合った仲だった。けど、そのずっと前からおじいさんはヘビースモーカーで、『飛鳥』はトレードマークだったよ。……それに、見てごらん」
そういって、先生は缶から国鉄の切符を取り出した。北海道の、幸福駅。
「妻は寒いのが苦手で、北海道には渡った事がない。これはきっと、おじいさんがおばあさんと旅行に行ったときのものじゃないかい」
どきんとした。
「おばあさんに見せてあげるといい。きっとその時の話をしてくれるよ」
なんだか走り出したいようで、缶を受け取りながら僕は頭を下げた。
065:冬の雀
「『はしびろこう』が います。 かおは こわいけど やさしいよ。 おかしが ほしい こは のっく してね」
ひらがなの読めるシオンちゃんが、アパートのドアの貼り紙を大声で読み上げた。
ちょっと黙ったあと、ぼくらは顔を見合わせ、こそこそ話し合った。
お菓子がもらえるのはわかったけど、「はしびろこう」って何だ? 「はしびろ こう」さんの名前じゃないかな。少なくとも、顔は怖いんだよね。でも優しいって。
さんざためらったけど、お菓子は欲しい。なにせハロウィンだ。みんなでかぶってきたカボチャのお面だって、この日のために幼稚園で作ったんだし。
結局、じゃんけんで負けたジンくんがノック係になった。怖がりのジンくんは何度も何度も僕らのほうを見たけど誰も助けには行かず、やっと叩いた音は僕らでも聞き落としそうなほど小さかった。
「どなたですか?」
男の人の声がした。別に怖くない、普通の声だ。ほっとした僕らは、大きな声でいつもの文句を言った。
「お菓子くれなきゃ、いたずらするぞ!」
ちょっと間が空いて、鍵が外れる音がした。ドアノブが回って、ゆっくりドアが開く。
ぬっと出てきた顔は……
あ、おばけ。
思った瞬間、僕ら全員が大声で泣いていた。泣いている自分を置いておいて、もう一人の自分が、出てきた相手をまじまじと観察している。
これは顔なんだろうか。ものすごく大きくてごつい鼻のようなものがぶら下がっているように見えるけど、どこが何なのかさっぱり分からない。ただ、やたらおっかない目だけはわかった。
やっぱり本物のおばけだ。
と、泣いている僕らを見下ろしていたそいつはくるりと背中を向け、しゃがんでめそめそやりはじめた。
何だよ。なんでお前が泣くんだ。泣きたいのはこっちだよ、泣いてるけど。
「お前……お前、何者だ!」
いち早く元気を取り戻したらしいマモルが怒鳴った。何かと兄貴分ぶるけど、こういうときは頼りになる。
その声で、そいつがまたくるりとこちらを向いた。なんだ、うそ泣きじゃないか。
「おれか。おれは、鳥だ」
「鳥?」
「鳥だ。『はしびろこう』という鳥だ」
はしびろこうは鳥の名前か。そういえば、長い「鼻」がくちばしに見えてきた。
「お前ら、お菓子をもらいに来たのか」
そうだ、お菓子だ。よく見ると、そいつは右手にチロルチョコの袋を持っている。
「お菓子、あげるから、一列並べ。順番だぞ」
僕らはちょっとおっかなびっくり列になって、持ってきた手提げを出した。はしびろこうはチョコを五個ずつ入れてくれた。なんだ、いいやつだな。泣いちゃって悪かったかな。
先生に教わったとおり大声でお礼を言って、僕らが帰ろうとしたとき。
「おい、ちょっとまて」
なんと、背後から声がかかった。横でジン君がびくっとした。何だろう、お礼は言ったのにな。
「おれにも、お菓子をくれ」
へ? 僕らは顔を見合わせた。
だってハロウィンだよ。子供がおばけの役になって、お菓子をもらうんだ。
でもこいつはおばけだから、お菓子を取っていくのかな。でもこいつは鳥だから、おばけじゃないよな。それじゃあ……
「おれは、鳥の国から来た。鳥の国にはハロウィンがなくて、誰もおれにお菓子をくれない。おれもお菓子をもらってみたい」
ふーん。
僕らはもう一度顔を見合わせた。ハロウィンがないのか。鳥だからしょうがないんじゃないかな。
でも、あげるばっかりじゃ、確かに可哀想な気もする。
「これ、あげる」
ジンくんが、他の家でもらったパウンドケーキを出した。つられるようにみんな袋をごそごそしてお菓子を探した。僕はちょっと悩んだけど、おまけつきのを出した。
「待て、待て。そんなにいっぱい食えないから、ちっちゃいのでいい。見せてみろ」
はしびろこうが手をぶんぶん振り、マモルの手提げを覗いた。マモルが手提げを差し出してやると、奴はお菓子を返し、飴玉を一個だけ出した。
「これ。これでいい。これくらいのやつだ」
ジンくんとシオンちゃんは代わりにビスコをあげた。僕は五円チョコをあげた。
はしびろこうにお菓子を渡すとき、ちょっとへんな匂いがした。
そんなに嫌な匂いじゃない。どっかでかいだことがあるな。どこだっけかな? 考えていると、はしびろこうがまた声をかけてきた。
「おまえら、いい子だから、もう一個お菓子をやる」
見ると、さっきとは違う袋を持っている。中から出したのは大きなペロペロキャンディ四本。
マンガにしか出てこないやつだ。僕らは興奮しながら手提げを大きく開け、それが入っていくのをじっと見ていた。
やっぱり、いいやつじゃないか。
* * *
家に帰ると、ママに笑われた。鳥がお菓子をくれるなんてうそだ、からかわれたんだと言うんだ。鳥の国の話もしたけど、信じてくれなかった。
僕はぷりぷりしながら、ペロペロキャンディを眺めた。眺めているうち、なんだか悪くなった。
こんな大きなお菓子をくれたのに、五円チョコじゃ可哀想だな。やっぱりおまけつきのをあげよう。
ママに話をすると、一緒に来てくれることになった。はしびろこうにお礼を言いたいんだって。
さっきのアパートのドアをノックすると、出てきたのは人間の、男の人だった。
「ごめんね。はしびろこう、さっき帰っちゃったんだ。お菓子ありがとうって」
そっか。
しょんぼりした僕に、男の人はしゃがんで言った。なぜか、さっきのあの匂いがした。
「はしびろこう、子供のころ、ハロウィンがなかったから、嬉しかったっていってたよ」
帰りがけ、ママが丁寧にお辞儀して、はしびろこうによろしくって言った。
男の人は分かりましたと言って、なぜだかものすごくにっこりした。
* * *
「よかったわね、鳥さんに喜んでもらえて」
帰り道、ママは言った。
「来年も会えるといいわね」
僕もそう思う。来年こそ、大きなお菓子をあげるんだ。
そうそう、あの匂い、何だか思い出した。兄ちゃんの自転車の、ゴムタイヤに似てる。
石に石を継ぐことでいしびとが生まれる。それぞれ単独の石として眠っていた石同士が、合わさることで混ざり合った不安定がいのちなのだそうで、いしびとは一人として同じ歌声のものはなく、一人として同じ不安定のものはない。
私が石継ぎをしているのは、この星が他の星と星継ぎされたからだ。日々雪崩れ込んでくる異種生物や未知の物質に暮らしは侵食され、逆にこちらの様式や法則が向こうに混沌を引き起こす。
こうなる前の世界で、私は歌を作っていた。刻々移り変わる天気を、奔放に伸びゆく草花を、あるいはビルや本やピアノや時計を、身の周りの森羅万象の歌を聞き、また歌っていた。
今、新たな世界体系になる前の混沌に在って、それをミクロで体現するいしびとの中の混ざり合いと似たものを、あるいは違うものを、黄緑色の天気に、草花の燃え方凍り方に、無生物の呼吸音の高低に見出したく、私はいしびとに囲まれて再び歌を聴いている。すでに喉ではないかもしれない私の喉から出る歌は、いしびとの歌に、その外の風ではないかもしれない風に混ぜ込まれていく。