小噺帖

極小一次創作。よそで作った三題噺や都々逸の一時的集積所。
極小一次創作。よそで作った三題噺や都々逸の一時的集積所。
料理と食料のあわい ※蔵出し

料理と食料のあわい ※蔵出し

 まあとにかく金を遣わないことで有名な彼の家に、泊まったことがある。まあ正確には、翌日目が覚めるや逃げ出した。
 金を遣わないと言ったが、どの友人に訊いても彼が人づきあいに支障をきたした話はない。顔を出した飲み会では割り勘分をちゃんと払っていたし、講義の教科書類も自力で工面していた。金の無心をされたことももちろん皆無である。
 ただ、全く自分のプライベートな部分ではとにかく金が出て行かなかった。というより、こだわらなかったのだと思う。
 着ているものは年間三百六十五日(うるう年は三百六十六日)上から下までユニクロで統一され、学食で頼むのはいつも野菜ジュースとかけ蕎麦、たまにちくわの磯辺揚げが乗っていた。ブックオフと図書館をこよなく愛し、出て行く先も公園だの併設の無料こども動物園である。

 *  *  *

 そんな彼のアパートに泊まったのは四年の夏だった。たまたま彼と同じ路線に実家があった僕は、ゼミの飲み会の後でうっかり終電を逃し、ぎりぎり徒歩で帰れる彼の家に転がり込んだ。
 しこたま呑んでいたせいか塩味が無性に恋しくなり、近くにコンビニが無いか彼に訊いてみた。すると、作りおきの料理でよければすぐ出せるという。
 酔いのせいもあり、「一人暮らし」の底力と彼の人間性にいたく感じ入った僕はその話に飛びついた。すると、彼は冷蔵庫から電気釜の釜部分(!)と鍋(!)を取り出し、ごそごそと何かを始めた。
 見間違いかなと眠い目をこすった僕の前に、電子レンジの音と共に差し出されたのはドンブリだった。どうやら飯を炊いた釜と料理を作った鍋をそのまま冷蔵庫に突っ込んで、毎晩要るだけ出しては丼物に仕上げているらしい。
 飽きないのか、と聞くと、まあ一週間だから、という返事。
 それにしても、ドンブリの中身の色合い。どう頑張っても黒、白、茶色とそれらの中間色しか見えない。飲み過ぎたかなといぶかりながら料理名を尋ねる僕に、彼が説明してくれた。

「特段名前はないよ。ナスとじゃがいもと椎茸と白菜、それからササミと手羽先を炒め煮にして、ブイヨン入れただけ。最後にトロロは足したけど」

 ああ、視界に緑黄色が見えないのはそういうわけか。
 だが、そう聞くといかにも旨そうな組み合わせだった。ナスも手羽先も食材として有名な割には案外思いつかないし、仕上げにトロロが乗ってるあたりなんか、さすが料理慣れしている。気がする。
 実際、見た目に反して味は大変によかった。そんじょそこらのラーメンなど物の数ではない。作りおき三日目とかで、そういえばカレーなんかでも一番旨いあたりだ。
 感動のあまり、うっかり要らないことを僕は訊いた。酔いのせいで忘れていたのだ、彼の習性を。
 なんでそんな組み合わせにしたんだ?

「ナスと山芋は先週、八百屋で一かご100円だったんだ。あ、ナスは一個腐ってたから、もう一かごサービスしてくれたなあ。白菜とじゃがいもはその前からあった気がする。肉と椎茸は先月、スーパーの見切り品で買い置いて冷凍しといた。米は実家から送ってきたやつだけど、冷蔵庫のだいぶ奥から……」

 酔いもぶっ飛ぶ衝撃。
 いろいろなものが一時にこみ上げ、僕は目を白黒させた。待て、ちょっと待て。じゃ、新しいのはなんだ。水とブイヨンだけか。

「ブイヨンもおととしのだなあ」

 …………。
 まあ、百歩譲ってブイヨンはよしとしよう。しかし、そうなると水の方も怪しい。

「……あ、浄水器のフィルター、入居以来換えてないや」

 脳内をどうひっくり返しても、こいつが入学以来引っ越した記憶はない。スポーツカーの爆音レベルで耳鳴りがした。いや、案外僕の胃袋が鳴っていたのかもしれない。
 とりあえず、この家にバケツか洗面器があるかどうか考えたところまでは覚えている。

 *  *  *

 はっと目が覚めるとカーテンは明るく、無造作にしかれた布団の上にひっくり返っていた。隣でむくりと起き上がった彼が「朝食」を出してくれようとしたが、生物としての本能で瞬間的に前日の記憶を取り戻した僕は全力で辞退し、明らかに大袈裟過ぎる礼を言ってアパートを飛び出した。
 その後の二日ばかりを不安とともに過ごしたが、とりあえず腹を下す兆候もなく、今日に至るまで平穏無事に生き延びている。
 だが、ナスの各々一かご分を、その後僕は近所の八百屋で目にした。一かご、約十個。一人暮らしで週一回、鍋いっぱいの料理を作るとしても、他の食材も入るから、一度に使えるのはせいぜい三個か四個である。で、あいつ、二かご買ったって言ってなかったっけ。
 買った時点で見切り品だったということは、使い終わりは。さらに食い終わりは……
 だがそれについてはもう、僕の宇宙の範疇外だ。
059:グランドキャニオン ※蔵出し

059:グランドキャニオン ※蔵出し

 小学生の頃、隣の席の子の消しゴムを駄目にしたのは、誓って悪意からではないのだ。

 ものは正方形の、いわゆるファンシー消しゴム。透明なゴムの中に青いエンゼルフィッシュが泳ぎ、銀箔の泡が涼しげに散りばめられていた。あんまり綺麗だったので見せてもらったのだが、鉛筆でふざけてつついているうちに透明部分を刺した。しまったと思ったが手遅れで、鉛筆を抜いた跡が無残に黒く残った。
 無論慌てて謝った。が、いいよと言ってくれた相手は明らかにテンションが下がっている。気まずい。あまりにも気まずかった。
 と、相手が筆箱から鉛筆を出した。そして、僕の目の前でそれを消しゴムに突き刺したのだ。あっけに取られているうちに消しゴムの透明部分は穴だらけになった。
「ほら、餌まいたの。餌」
 彼女はそういって笑ったが、明らかに作り笑顔だ。なんで無理してまでフォローするかな。その証拠に笑顔はすぐに力をなくし、その日一日を僕らは何ともぎこちない悲しみの中に過ごした。

 * * *

 そういえばあの消しゴム、水族館で買ったって言ってたっけ。脳裏にひらめいたのはその夜だ。
 新しいのを買って返せばいい。車で行った事があるから道は分かっている。幸い明日は休日、朝から自転車で行けば夕方までには帰れる、んじゃないかな。
 当時は気付かなかったが言うまでもなく、僕を駆り立てたのは弁償よりもむしろ冒険である。休日にしては珍しく、僕は朝9時に家を飛び出した。

 * * *

 だが悲しいかな、当時の僕は過小評価していたのだ。内陸部の自宅から沿岸部の水族館まで二時間で着けたのは「土地勘のある父が」「自動車で」「高速道路を」走っていたためであるという現実を。
 家を出て自転車をとばすこと一時間、いまだ記憶の中間地点どころか市内すら脱出できていない事実に僕は愕然とした。それでもめげずに走り続け、ようやく市街地の外、次の市との中間地点の田園地帯に入る。
 が、そこも思わぬ障害だった。進む方向がおおよそ分かっているから大丈夫とはとんだ皮算用、同じように広々した風景ばかりでどこがどこやら見当もつかない。たしかどこかで横の山道に入らなけりゃいけなかったんだけど。
 ついに腹をくくり、えいっとばかり横道にそれた。言うまでもなく、迷った。
 舗装道路は途中で途切れ、それでも道は延々登っていく。ついに力尽きて自転車を押し始めた僕の両脇を、明らかに見覚えのない果樹園だか農家だかがのろのろ流れる。もはや当初の目的を忘れ果て、全自動登山ロボットと化した僕の行く手は、ついに行き止まりの表示に阻まれた。
 日はとうに天頂をまわり、こんな場所でも暑さは増すばかりだ。ありとあらゆる挫折感にノックアウトされて座り込んでいた僕に声をかけたのは、どうやらこの土地の持ち主らしい農家のおじちゃんだった。

 * * *

 僕から事情を聞かされて死ぬほどびっくりしたらしいおじちゃんの行動は、しかし素早かった。近くの自宅に僕を入れてくれ、奥さんらしいおばちゃんに麦茶とお菓子を頼んでくれた。そして僕が命の水よろしく麦茶をラッパ飲みしている間に、家に電話をしてくれたのだ。
 昼過ぎになっても帰宅しない僕を心配していたという両親は、当然ながら法定最高速度ちょっと越えですっ飛んできた。慌てて買ってきたらしいゼリーを奉納の角度でおじちゃんに差し出す父の横で、母は泣きながら僕の頭を連打し、おばちゃんに笑顔で止められていた。まあ男の子はこれくらい元気なのがいいですよ、今思えばずいぶん寛容なおじちゃんとおばちゃんではある。

 * * *

 車のトランクに自転車を乗せ、二人に見送られながら僕らが目指したのは、家でなく水族館だった。ずいぶん寄り道してしまったが、ここから高速に乗れば閉館には滑り込める。土地勘のある父の読みはさすがで、僕らが水族館の売店に駆け込んだ時には閉館十分前のアナウンスが流れ始めた。
 目当ての消しゴムを握り、僕はありったけの小遣いをレジに吐き出した。
 終わった。何もかもが報われた。

 * * *

 が、休み明けに意気揚々とランドセルから消しゴムを取り出した僕は、彼女の筆箱を覗いて愕然とした。
 なんと、あの消しゴムがあったのだ。それも無傷で。
「あのね、スーパーに同じのがあったから、お母さんに」
 ちょっと気が遠くなった。僕の苦労はなんだったんだろう。さんざっぱら走ったあげく道に迷って、母親に頭まではたかれた僕の苦労は。
 と、抜け殻状態の僕の手の中を覗き込んだ彼女が、あれ、と声を上げた。
「ああ、これ。その、穴あけちゃったから、代わりにと思って」
 相変わらず抜け殻のまま、僕は言った。半分はヤケだった。
 と、彼女が自分の消しゴムを差し出した。
「それ、ちょうだい。あたしのあげるから」
 …………。
 えーと、どういうことかな。つまり、こいつのをくれるのか。で、代わりに、僕のこれがこいつに行って。
 頭いいと思った。フォロー上手の面目躍如である。
 僕の差し出した消しゴムを彼女は嬉しそうに受け取った。
「ありがと」
 天使かと思った。

 * * *

 天啓に思えた彼女の気配りが、実はマンガでよくある古典的解決策なのだと僕が悟るのは十年後である。
 ついでに、彼女のくれた消しゴムを机の中に放置した挙句、定規とべったり貼りついた状態で発見して放心するのもその頃だ。
 だが、片面が無残な姿になってなお、それを見て僕が思い出すのはあの一連の騒動、いっそ完璧なまでに「小学生の夏」だったあの数日間の全てなのだ。
010:トランキライザー(蔵出し)

010:トランキライザー(蔵出し)

 ネットオークションに出たマグカップはファンの間では伝説的なグッズだった。十六年前、ライブ百回達成記念にアーティスト自らデザインして油性ペンでサインを入れ、十個限定でチャリティオークションに出されたという経緯を持つもので、そのときは十個全てが六桁で落札されている。
 今回出たのはそのうちの一個と思われた。オークション開始から二十時間ですでに十人以上が入札、現在価格は八万円に達している。
 が、当然、偽物説もほとんど同時に流れた。出品者Q&Aを読む限りでは不審な点は見当たらないが、物が物だ。
 そして、コレクターアイテム同然の品物にも関わらず外箱は紛失している。出品者はカップを飾っておきたかったため購入し、箱の保存は考えていなかったと答えていた。まあファンサイトを見る限り外箱は専用ケースなどではなく、ただの段ボールだったので、捨てても不自然はないといえばない。クサいが検証はできないといったところか。
 商品写真にはカップ表面のアーティスト直筆サインも載ってはいたが、これについても似せて書くことはいくらでもできるわけで、証明にはならなそうである。
 結果、圧倒的多数のファンは喉から手が出る思いをしながらも結局眉唾で成り行きを見守っていた。

 * * *

 そして実際、そのカップは偽物だった。もっと言えば、試作段階の彩色ダミーである。
 アーティストから受注した陶器製造会社の担当者が、倉庫の隅に放置されていたダミーを個人アカウントから出品したのだ。外箱は用意できないため、あえてそのまま出した。サインも当然、模写である。
 オークション開始から数時間で価格は大きく跳ね上がった。現在はひとまず落ち着いたらしいが、それでもゆるやかに伸び続けている。

 有名人さまさまだ。死後十年も経って、いまだにこうやって金を落としてくれる。

 件のアーティストは故人である。スランプで酒に溺れ、深夜自宅で急性アルコール中毒にやられて命を落とした。翌日、連絡がつかないのを不審に思ったマネージャーが迎えに来て発覚したのだ。
 生前、名前は全国区で売れており、ヒットも二度ほどあった。当時のファンがあらかた卒業してしまった今になってもコアなファンは残ってくれているようだ。
 だが、そいつらは一体誰のファンなんだろう。出品者……僕は時々疑問に思う。
 実のところ、アーティストに楽曲を提供していたのは僕だ。学生時代のバンド仲間だったが、大学を出て道が分かれた。
 デビュー時代のアーティストの実力は本物だ。自力で書いた曲を路上で歌い続けてスカウトされ、全国区までのし上がった。やっぱりあいつはすげえと、僕含む元仲間はテレビを見ながら噂しあったものだ。
 その後、昔のよしみで彼はツアーグッズを友人たちの勤め先に発注してくれるようになった。僕の勤めた陶器製造会社もその一つで、おかげで社内ではずいぶん過ごしやすかった。
 が、友人の名前で食わせてもらっている後ろめたさはどうしても消えなかった。まして、かつて自分が諦めた道の中心を歩む友人だ。
 だから嬉しかった。彼が自分に、こっそり作詞作曲の相談をしてくれるようになってから。他ならぬプロに頼られている。正直、誇らしかった。
 しかしある時期から、アーティストは僕の出した楽曲をそのまま使うようになった。ちょうどアルコールの量が増え始めた頃だ。そして、一時期ほどの勢いはなかったにせよそれらの曲もそこそこ売れたのだ。
 ただし、もちろん彼の名前で。
 それとなく、彼に言ったことがある。とはいえ金が欲しかったわけではないし、こちらだって彼の名前でだいぶ稼いだ。
 であっても、あれは自分の曲なのだ。この自分の。
 結果は言わずもがなである。
 そしてあの夜。
 寝入りばな、アーティストから電話がかかってきたのだ。曲が書けない。もう一度だけ助けてくれ。素人が聞いても相当ろれつが怪しく、時々会話が途切れた。
 正直まずいと思った。ただし、頭で。だから言った。

 ごめんな、僕もスランプなんだ。もう出せる曲は持ってないよ。

 結果は言わずもがなである。

 * * *

 六日後、マグカップは結局五十三万で落札された。
 世に盗人の種はつきまじだ。ため息ひとつも出ないまま、僕はカップを発送し、この件はそれきりになった。
 件のカップ、デザインはそのときの新曲のイメージソングで、曲名はFriends。それにすら心は揺れない。

 五十三万は酒になるだろう。あれ以来、曲は書かない。
ナイチンゲールの話(蔵出し)

ナイチンゲールの話(蔵出し)

 昔、あるところにシラルクとカカンという名の二人の若者がいた。家が隣同士で、二人はほんとうの兄弟のように育った。
 だがあるとき、二人は同じ娘に恋をしてしまった。争う二人に娘は、森でいちばん美しい声を持つナイチンゲールを捕まえてきた方の嫁になりましょうと言った。
 喜んだのは狩りの得意なシラルクだった。大人しいカカンは顔を曇らせたが、それでも受けて立つことにした。こうして、勝負が始まった。

 シラルクは幾日も森を歩き、数えきれないほどの鳥の声を聞いて回った。そして一週間目の夜明け、鈴を振るように美しい鳴き声で目を覚ました。見上げると、頭上の枝に一羽のナイチンゲールがとまって鳴いているのが目に入った。
 これだと思ったシラルクは罠を仕掛け、ナイチンゲールを捕まえた。だがそのとき、嬉しさのあまり強く手で抑えたので、小鳥の声は体からすっかり押し出されてしまい、小鳥は歌えなくなった。

 いっぽうのカカンは部屋にこもりきりで、土をこねて何やら作っていた。そして一週間目の朝、ようやく一個の土笛を作り上げた。

 娘の前で、二人はそれぞれの鳥を披露した。シラルクのナイチンゲールは歌えなかったが、カカンの土笛はナイチンゲールそっくりの美しい音が出た。そのため、娘はカカンの妻になりましょうと言った。
 シラルクは悔しくてたまらず、カカンをつかまえて言った。
「やいカカン、お前は俺のナイチンゲールから声を盗んだに違いない。森を歩きもしないで土の塊ばかりこねていて、そんな美しい音が出るものか」
 驚いたカカンは言った。
「シラルク、なぜそんな無体なことを言うのか。なら私が、この笛でもってナイチンゲールに歌を教えてやるから、誰の言うことがほんとうか、ナイチンゲールに訊いてみるがいい」
 覚えのあるシラルクはぐうの音も出ず、ナイチンゲールを連れてすごすご立ち去った。

 シラルクは村外れに小屋を立て、声の出なくなったナイチンゲールを世話しながら暮らしていた。
 娘と結婚したカカンはそのまましばらく幸せに暮らしていた。が、ある日、あの笛を見ると、なくしたナイチンゲールの声が詰まっているのに気がついた。

 カカンははっとして、その声を持ってシラルクのところへ駆けつけた。シラルクが声をナイチンゲールに戻してやると、ナイチンゲールは美しい娘になった。
 こうしてシラルクはナイチンゲールの娘をめとり、カカンと妻はあの笛でそれを祝った。
 そののち、みなで幸せにくらしたということだ。
084:鼻緒

084:鼻緒

「頼もう、その布を分けてもらえぬか」
 声に振り返ると、思ったより高い位置に相手の頭があり、見上げると天狗だった。
「鼻緒を切ってしもうた」
 こちらがたまげる前に天狗がせかせか言葉を継ぐ。その通り、相手の履いている一本歯の高下駄は右の鼻緒がぷっつり切れている。
 背の高い理由はこの下駄かとついでに納得しながら、私は腰に提げた手拭いを裂いて渡した。天狗は大仰に押し頂くと、あっという間に鼻緒をすげてしまった。
「いや、かたじけない。急ぎの旅での」
 どちらへ、と問うと、
「西へ。今月はわしが月番での、めるくりうす殿に引き継がねばならぬ」
「何を」
「この地の球を」
 言うなり天狗はわっと駆け出し、大きく風が巻き起こった。
 と思うや、足元の地面がみしりと動いた気がした。それは一瞬のことだったが地震とは違う、まるで――
 まるで、乗り物が動き出したような。
 とまで思って、思い当たった。

 この地の球を、ちょうど玉乗りのように足下で蹴転がし、神仙たちが回していたなら?

 ……わしが月番での、めるくりうす殿に引き継がねばならぬ。
 自然、天狗の消えた西へ目をやれば、彼方の空は紅い手拭いの鼻緒に似た夕焼。

END
怒らないで/キス/胸元

怒らないで/キス/胸元

 帝国は結局、最重要標的の忍者二名……火付者と山駈衆の指名手配を解かざるを得なかった。手配書を出せば署名した者が即日討たれ、現場が怖気付いたのだ。以来両名の行方は杳として知れず、死んだとも他領へ逃げたともいう。あるいは身一つを自身の国土とし、帝国内の独立国となり暴れ回っているとも。
三題噺 ※2個追加

三題噺 ※2個追加

首筋/キス/夜は短し
三重ガラスの防寒窓一面に白い夜が渦巻く。学校のホールは暖かく、背後のパーティはたけなわだ。地元の子は皆この後帰宅だが、私たちは同棟の寮に残る。それでも元首都の子は友達も多いが私の出身地の子は他にない。巨大災害でこの国の居住適地はここだけ、雪嵐の奥にその原因の巨獣が美しく闊歩する。

首筋/葉っぱ/はじめて
私達が首の皮一枚で生きているのは南北に長いこの国の最北端、この地の極寒のおかげだ。数十種に及ぶ巨獣のうち寒さに強いのはごく一部。辺境といわれたこの街に生存者が集まり、唯一の学校もそれなりの規模だ。吹雪が切れ、地元の子が一斉にバスに乗る。バスが下る先の街灯りが窓の遥か下にちらつく。

首筋/茶髪/トランス
南方の私の故郷で温泉が出て水脈が変わり、地底の巨獣が現れた。迷惑客に飛び乗られた一頭が暴れ出し、駆除が逆に巨獣の大侵出を招いて今に至る。巨獣と人を慣らし、徐々に巨獣を制御し共存を図るための人材育成が巨獣学科の主目的で、山中の寮の露天風呂は、真下の温泉につかる巨獣の頭と同じ高さだ。

(了)
052:真昼の月 ※蔵出し

052:真昼の月 ※蔵出し

 西暦二〇●●年、人類史上初めて戦争がなくなった。正確には、人間同士で内輪もめしている場合ではなくなったのだ。
 始まりは、国際宇宙望遠鏡が捉えた百光年先の恒星だった。前日まで正常な位置で正常に光っていた星が突如、急激に三天文単位ばかり移動したかと思うと、そこで巨大な閃光とガス雲が発生した。ガス雲の色や規模から推定して、どうやらその恒星が動いた先で爆発したものと思われた。
 およそ常識外れの現象に、各国の天文学者はみな呆然とした。
「流れ星が別の何かにぶつかったみたいな現象じゃないか」
 誰かが恐る恐る口に出し、他の者もうなずいたものの、誰もが目を疑っていた。例の恒星はまだまだ若い星だったし、何より恒星はそんな動きはしない。少なくとも、人類の知る範囲では。
 なのにそれ以降、同じような現象が頻発した。その宙域で、恒星がさっと流れては爆発する。それが一ヶ月に数度は起き、そのあたりの夜空はきらめく光点の代わりにぼんやり霞むようになった。
 そして観測の結果、ようやくある程度の様相が分かってきた。
 恒星の動きの終点、つまり爆発地点は宙域の特定の二箇所に集中していた。また、始点は比較的ばらばらであったが、いずれもその二箇所の周囲の、終点ではない側だった。つまり、A点近辺から流れた星はB点で、B点近辺から流れた星はA点で爆発している。
 ――まるで、巨大な誰かと誰かが、自分の陣地から掴み取った雪で雪合戦でもしているように。
 こう例えたのはネットメディアの記事だが、その頃には科学者たちは恐ろしい推論へ達せざるを得なくなっていた。
 実際に、これは雪合戦もとい星合戦なのだ。星を弾丸として発射する者同士の。
 さらなる懸念があった。この宙域は地球から百光年離れている。つまり、実際は百年前の話だ。その後、「星合戦」はどうなった? もっと言えば、現在はどうなっている? 正直に言えば――地球は大丈夫なのか?
 なにせ百光年など、宇宙スケールで言えばお隣どころかゼロ同然の距離なのだ。
 とは言え、それより近い宙域の星々に異常が見られないからには、どうやら「星合戦」は少なくとも太陽系方面へ近づいてはいないか、(願わくば)それきり終結したのではないか?
 学者たちの推論を裏付けるように、「星合戦」現象はその開幕から一ヶ月後、その宙域を空っぽにして静かになった。
 さらに一ヶ月の観測を経て、何の異常も確認されなかったことから、学者たちは胸をなで下ろしつつ、ひとまず現象は収まったと結論を……
 その日、五十光年先の恒星が流れて爆発したのが観測された。例の宙域と太陽系のちょうど中間だった。
 パニックも度が過ぎると静かなもので、天文学者たちは宇宙望遠鏡からのデータを速やかに検証した。地球との距離の近さもあり、今度の現象はより鮮明に記録されていた。
 送られてきた映像には、くだんの恒星を紐状の何かが絡め取り、投石器のように投げているさまが映っている。
 紐状の何かの根本を辿ると、恒星より遥かに小さな――それでも木星サイズの塊が辛うじて認められた。「紐」はその塊から、長さ千キロメートルほどの長大な触手のように伸び、自分より遥かに大きな別の恒星を捕えると、同じように投げた。
 投げられた恒星は流星となって流れ、何かにぶつかって爆発する。
 そのガス雲が薄れると――そこにはもう一つの、やはり木星大の「塊」があった。それは自分の触手を伸ばし、手近な恒星を……
 もう間違いなかった。二つの「塊」が生物か人工物かはともかく、@それらは意図的に「星合戦」を行っている。そして、A先般の「星合戦」もそれらのせいとすれば、それらは一ヶ月で五十光年を移動することができる。
 さらに、BAであるなら、それらは来月以降、太陽系近辺を主戦場とする可能性がある。
「どうする」
 一人の学者が言った。
「誰が」
 別の学者が訊き返した。返事は誰からもなかった。
 五十光年先の星々は日ごと順調にガス雲へ置き換わり、かくて西暦二〇●●年、人類は史上初めて戦争をやめ、百億人が座して空を見上げた。
 ある日、太陽系を囲むオールトの雲の端と端に、それぞれ「木星大の塊」が観測された。
 恐れおののく太陽系の微生物たちを挟んで睨み合う二つの塊から触手が伸ばされるさまは、わずかの時差を置いて地球からもはっきりと観測され……
 地球史はそこで終わった。

 もっと言うと、宇宙史はそこで終わった。

 気づくと、地球人類は百億人ぞろぞろ並んで光り輝く門をくぐらされていた。
 門は人類からは認識できないほど巨大だったのだが、どうしてか全員がそれを門と理解していた。
 周りを見ると、犬猫や鳥魚や虫を始め、ありとあらゆる生物たちも大挙して門をくぐっている。
 さては星合戦で地球が吹っ飛ばされたせいで、有象無象まとめて天国送りだな。誰もがそれを悟った。
 ……にしては巨大すぎる何かが一緒に移動しているのことに、やがて人間たちは気づいた。どうやら地球ではありえないサイズの生き物らしい。察するに(察する理由は不明だが)、触手のある、おおよそ木星大の。
 気づいてみると、それらも二つどころか何百万となく、光る門をくぐってゆく。
 呆然としながら人類は、それらより遥かに――桁違いに大きい存在たちをついに認識した。
 自分たちの宇宙サイズの生き物だ。
 同時に、人類は理解した。いや、人智を超える何者かが、人類含む全生物に、理解を流し込んできた。
 地球が滅んだのは、木星大の生物同士の星合戦のせいではない。
 さらに巨大な生物同士が、宇宙同士を投げ合った、宇宙合戦のせいだ。
 地球を含む宇宙は投げつけられて吹き飛び、木星大の生物たちも、もちろん地球の生物も、一切合切命を落としたのだった。
 人類が見てみると(なぜ見えるのかは不明だが)、宇宙を投げつけ合っていたらしい超巨大生物たちが、それらにそっくりの姿をした光り輝く存在に追い立てられ、恐ろしげな黒い門へ追いやられるのがわかった。
 同時に、脳内にぞんざいな声がした。
 ――さあさあ、戦争で死んだ生き物は全員天国行きですよ。早く動いて、動いて。あとがつかえてるんだから。
 どうやらそもそも神も天国地獄も、あの宇宙より大きい生物仕様だったらしい。
 星合戦していた生物も、いや、人類の戦争で死んだ微生物も、信じる神を持っていたろうか? 輝く門をくぐりながら、一人の(元)天体学者はふと思った。
041:デリカテッセン

041:デリカテッセン

 市場の片隅に知らない物売りが店を出していた。下手くそな字で「おさら」という看板が出ており、大小の皿が無造作に積まれている。
 のはいいが、「あまい」「しょっぱい」等々の札で奇怪に分けられている。料理によって使い分けるのかと店主に尋ねると、割れた皿の欠片をくれた。
 戸惑っていると店主がそれを食い始めたので肝を潰したが、食えるのだという。恐る恐る口に入れると、確かにほぼビスケットのような感じだ。しょっぱいのは煎餅製、甘いのはビスケット製、味のないのもある。かき氷なんかは飴製のに盛ればいいそうだ。
 要は、皿洗いがめんどくさい人間のための「食える皿」なんだそうな。
 その横には鉢植えの木があり、こちらも皿だという。巨大な葉がわさわさ茂っており、合点がいった。これは窓から捨てれば自然に還る。
 自宅のシンクの皿の山が現在進行形で巨大化している身としては大変、大変心を惹かれたのだが、「高くつく」という最後の理性(?)が辛うじて私を踏みとどまらせた。
 そう言うと、店主はにやりとして売り場の裏から土鍋と金属鍋を取り出した。どちらも繊細なタッチで見事な模様が描かれ、こんな市場に来る人間の心をピンポイントで射抜くような美しさだ。
「これ、お皿にしても怒られないお鍋。一人暮らしなら、これで毎食OK」

 以来、ほぼこの鍋一個が私のシンクとガス台と食卓を日々行き来している。
 それ自体は満足なのだが、先日、友人知人で催した持ち寄りホームパーティで、ほぼ全員が葉っぱか煎餅か土鍋を皿にしていた。
 あの店主が街を征する日も近いかもしれない。
055:砂礫王国 ※蔵出し

055:砂礫王国 ※蔵出し

 実はこの世界は平面で、巨大な盾の裏側に乗っている。下を向いた表面に刃を突き合わす格好で盾を支えるのは、垂直に立った一本の矛だ。「どんな攻撃も跳ね返す盾とどんな守りも破る矛、どちらが勝つか?」世界はこの究極の矛盾の上に危ういバランスで成立しており、この問いに誰かが答えをもたらした時、終末が訪れる。