小噺帖

極小一次創作。よそで作った三題噺や都々逸の一時的集積所。
極小一次創作。よそで作った三題噺や都々逸の一時的集積所。
066:666

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 おばけだぞーの声にドアを見ると、シーツをかぶった息子が部屋に入ってきた。まだ五歳のこと、余ったシーツがずるずるたなびいて愛らしい。とはいえそのまま膝に上がってくる重さには、赤ん坊の頃を思い出して感慨深くなる。
「お化けさん、うちの子はどこに行ったのかな」
「食べちゃったあ」
 くすくす笑うシーツに、おやおや悲しいねえと返しながら口元がゆるみ――ふとこわばった。
 こんなに重かったか、この子は? だけでない、心なしか頭の位置も高いような……
 くすくす笑いが二つになっている。反射的にドアを見ると、笑いながらこちらを覗き込んでいるのは当の息子だ。ぞっとした途端、膝の上のそれがシーツをぱっと脱ぎ捨てた。
 子ども二人分の大笑い。膝の上で笑い転げるそれは真っ赤な肌に長い牙で、頭には二本の角があった。
「オークのジャンディだよ、パパ」
 息子が紹介すると、そいつは床に飛び降りてぴょこんとお辞儀した。
「えーと……幼稚園のお友達かな」
「そんなわけないじゃん」
 息子が得意げに言う。そんなことは分かっている。この場合、他にどんな言いようがあるというのだ。
「うちのクローゼットがジャンディのお家につながったんだよ」
「どうして」
 わかんなーい。小児二人が声をそろえた。うん、なるほど。ナルニア国パターンね。対処しようのないやつだ。
 しかし、となると問題がいくつか。
「ジャ……ンディのお家の人は、うちを知ってるのかな」
「うん。おんなじイタズラしたら、びっくりしてた」
 だろうね。うちの子がご迷惑おかけしました。と言うか躊躇なく訪問済みなんだな、オークの家を。
 まあ、生還できたところを見ると話は通じるらしい。最大の懸念はこれにて解決……
「パパがモンスターのお話を書く人だって言ったら、すっごく喜んでた。ご本読みたいって」
「そうか……」
 ため息が漏れた。
 確かに息子にはそう説明しているし、私が物書きなのも間違いない。
 ただし、正確には、ゴーストライターと言う。
 私の書いた本は何冊も世に出ているし、版を重ねているものもある。
 が、その中に、私の名前は一切ない。
 世間を偽り、息子にも嘘をつき、自分もごまかす、文字通り幽霊のような身である。いまさらモンスターにびびる資格とてないだろう。
「どうも、息子がお邪魔しております」
 いきなりの胴間声に、思わず椅子から飛び上がった。
 見るといつの間にか、ジャンディを二メートル半に拡大したような堂々たるオークが立っている。
「失礼ながら、心を読ませていただきました。というか、反射的に読めてしまうのです。ご事情よく飲み込めましたよ、理不尽ですなあ」
 呆然とする私を前に、オークはとうとうと続けた。
「わたくし、職場が地獄でして。嘘つきを罰するセクションなのです。いかがでしょう、もしお望みでしたら、あなたを使って利を得ている輩どもの地獄行きを早めるようサタン様に掛け合い……」
「いやいやいやいや」
 モンスター客のようなことを言い始めた相手を慌てて止め、ごくりと唾を飲み込むと、私は話し出した。
「僕も、正々堂々ゴーストを返上したいのです。ひとつ、そちらの世界を取材させてもらいたいのですが」
「もーちろん、大歓迎ですよ」
 甲高い別の声。
 見ると、戸口に巨大なシーツが揺れている。
「アタシら幽霊も、ニセモノの代名詞代わりにされちゃたまりませんからね」
 硬直する私の肩を、オークが万力のような手で掴んだ。
「魔界の総力を上げてバックアップしますよ。ひとつ、ご家族ぐるみのお付き合いを願いたいものですな」
 その背後から無数の歓声が湧き起こった。
 文字通り、地獄の一丁目に踏み込んだらしい。