小噺帖

極小一次創作。よそで作った三題噺や都々逸の一時的集積所。
極小一次創作。よそで作った三題噺や都々逸の一時的集積所。
秘密基地への旅

秘密基地への旅

 高級ブランド街の公園にロバが繋がれ草を食んでいた。かいがいしく世話する公園の管理人は、今年も「あの人」が来たからねと目を細める。
 近くの二つ星レストランにその老人はいた。顔は黒く日焼けし、ドレスコードに精一杯合わせたらしい上着も色褪せているが、ウェイターの給仕は恭しい。彼が運ぶ黄金色のチキンパイを見守る老人の目はまるで少年だ。
 テーブルの中央に鎮座したパイを老人は感嘆の眼差しで眺め、息を詰めてさくりとナイフを入れる。湯気と共に広がる香気を大きく吸い込んだ後、宝石を扱う手つきで一片を口へ運ぶ。おおサンタマリア。陶然と呟く声。
 あの方は毎年十月いっぱいこの街に滞在されます。ウェイターの話だ。高級レストラン、大衆食堂、カフェ、屋台。毎日違う店を巡り、とりどりの食事を楽しむとか。
 チキンパイを綺麗に平らげ、老人は奥から出てきたシェフを惜しみなく讃える。その言葉は評論家のそれでなく、祖父が孫へ向けるように朴訥なそれだ。
 あの方は褒め言葉を百万通りご存じでしょうね。この街の料理人にとってあの方のご来店は喜びなのです。ウェイターの視線の先のシェフは晴れがましい笑顔だ。

 十月の終わり、老人はロバに乗って故郷へ発つ。三日がかりで戻った先は国境付近の小さな街で、流行とはほど遠いが様々な人の行き来する中継点だ。
 老人は市場へ寄り、肌身離さぬ帳面と首っ引きで、次々に食材を買ってはロバに積む。そのロバを中心点に、彼の帰還は速やかに市場、そして街中に伝わる。
 帰宅した老人はロバを労わると、自分はお茶もそこそこに、一月ぶりで店の厨房に立つ。例の帳面を傍らに広げ、手際よく芋の皮を剥き魚を捌いてゆく。やがてフライパンの音と匂いにつられ、人々が彼の店先に集まる。
 彼こそはこの街の「三ツ星シェフ」、毎年十月に首都へ赴いては美味しい料理を書きとめ、街へもたらすのだ。当然完璧な再現は無理だし、在り合せの食材に街好みのアレンジまで加わり、元の料理とは大きく異なるが、新作料理は街の人々の舌を喜ばせ、国境を越えてさらに変化しながら伝わってゆく。
 店を訪れる客の中に「提供元」たる首都の料理人達が時おり混ざり、自分達の料理の進化を楽しんでいるのは勿論であり、その味が首都へ逆輸入されるのも勿論だ。厨房の老店主はそれを知ってか知らずか、今日も楽しげに包丁を振るう。
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