秘密基地への旅
狼の少年たちが長距離列車で旅している。十人ばかりが固まってわいわいやっている姿は人間の子と違わないが、時々仲間うちで鼻をくっ付け合っているのでそれと知れる。
頑なに帽子もコートも取ろうとしないのは耳やら尻尾を隠しているせいで、狼は狐よりよほど化けるのが下手なのだ。近くにさりげなく座る中年男二人は恐らく用心棒の狐たちで、こちらはさすが人間としか見えない。
数々の保護策も空しく狼は減る一方で、最後の手として極北にあるという狼の国へ全ての狼が集まることとなった。少年たちも恐らく、自国からそこへ向かう途上だろう。
汽車は北上を続け、ここ数日は陽を見ない。地を覆う雪は闇の中ですら白く、その上を風ばかりがうねる。冷たい窓に鼻を付け、一番幼い狼が外を見ていたが、飽きたらしくデッキへとことこ歩いてゆく。兄らしき少年は席で眠っており、他の者はお喋りに興じて気づかない。
私がデッキへ出ると、案の定ちび狼は一人きりで遊んでいた。危ないよ。声をかけると、やっと警戒する気になったか表情が強ばる。周囲に誰もいないのを確かめ、私は帽子を取る。
――なに、心配ないよ。おじさんも狼なのさ。
私の耳を見てすっかり安心したのか、ちび狼は真似して帽子を取った。紛れもない狼の両耳がぴんと突っ立っている。
――おじちゃんも狼の国に行くの?
――そうだよ、坊やたちと一緒さ。だから感心しないね、こんなところで一人になるなんて。狼の国に着く前に悪い奴に連れて行かれちゃうよ。
狼が数を減らしたのには理由がある。ふかふかの毛皮、闇を見通す目、美しい牙。そして今や、数が少ないというそのこと自体に大きな価値があった。
用心棒がついていても、国に着くまで安心はできない。この汽車の中にだって狼を狙う者が紛れ込み、警備の目をくぐらないとも限らない。
この私のように。
――ぼく、怖くないよ。ちょっとオーロラの匂い、嗅ぎに来ただけだもん。
――そうかい。じゃ、窓をごらん。そろそろ見える頃合いだ。
私はさりげなくちび狼を抱き上げた。夜空にはオーロラが踊り始め、あちこちの席から歓声が上がる。それに紛れ、隣の車両に続くドアへ手をかけた。そこには仲間が待ち受けており、狼を捕まえ次第、次の駅で降りる手筈になっている。
私は人間に化けた狼ではない。
人間に化けた狼に化けた狐だ。
途端、背後でばたんとドアの音。ちび狼を抱く腕が何かに喰らいつかれた。悲鳴を上げた私の腕からちび狼がさっと引ったくられる。
よろめきながら顔を上げると、少年のひとりが仁王立ちになっている。さっき眠っていた兄だ。両腕で弟を抱え込む姿こそ人間だが、鼻筋にしわを寄せて歯を剥き出す顔はいっぱし唸る狼だ。
その形相に私の両耳が思わず後ろへ寝たが、なんのなんの、化け比べならこちらに分がある。
元の車両へ駆け戻ろうとする兄弟の背中へ、余裕たっぷりに声をかけてやった。
――ま、確かにこの汽車は狼の国行きだろうがね。君ら二人は入れてもらえるものかね?
少年の足がぎくりと止まった。
――匂いで分かったが、いやはや狼に化けることにかけちゃ君らは私以上の上手だ。狼犬が狼のふりして、移住枠を取るなんて。
狼犬もまた、狼と同じ理由で狙われる。ただし、狼の国へ呼ばれているのはあくまで狼。
狼の楽園たるあの国も、狼犬まで受け入れられるほど広くはないのだ。
――元の国で胸を張って生きていくほうがよっぽど楽じゃないかね。なに、多少の不自由はあるだろうが、私に任せれば悪いようにはしない。
狼犬の兄は、力無く床に目を落としている。
――君らがあの国に入ることで、向こうにいる君の友達の誰かが落っこちるかもしれない。
私の一押しでついに立ちすくんだ狼犬のそばで、ドアがぱっと開く。
――お前ら、狼犬ってほんとか。
他の少年たちだ。やはり二人の素性を知らなかったと見える彼らへ、私は大げさに肩をすくめた。
――どうしよう。お前ら、入管から先へは行けないぜ。
どうもこうも、その通りだ。今後の稼ぎのためにも騒ぎにしたくなかったが、狼犬二人手に入れば上出来だ。万策尽きた少年たちを後に、私は二人を引っ立てて仲間の車両へ移ろうとした。
が、そこからどたんばたん物音がする。はっとガラス越しに中を覗くと、なんと仲間が一網打尽になっている。それを囲む乗客たちは……
狼、狼、狼。いや違う、残らず狼犬だ。
――狼狩りが出ると聞いてね、張ってたんだよ。
ぎくりと振り返ると、狐の用心棒二人が立っている。
――坊やたち、手癖の悪い同胞で済まないね。さあて御同輩、この汽車は特別仕立てでな。俺たち二人とあんたらが狐、それからこの子ら狼以外は全員、狼犬が乗り組んでるのさ。
狼の、狼犬の、何対もの目が突き刺さる。
――確かに狼犬はあの国へは行けない。だからこの汽車に住んで、狼たちを送りながら自分たちの身も守っているのさ。
狐の用心棒は、狼犬の兄の肩へ手を置いた。
――君らのことは俺たちも気の毒に思うよ。ここにおいで。座席はあるし、こういう奴らをとっちめる人手も要る。あの国へはやれないが、化け方ならいくらでも教えてやろう。
少年たちのリーダーと思しい狼が、兄弟へ顔を寄せる。
――ごめんな。俺たち先に行くけど、きっとあの国の法律を変えて、お前らも住めるようにする。だから、もう少しだけ頑張ってくれ。
狼と狼犬が鼻をくっ付ける。その仕草は狼同士と変わりなく、私の目からは狐の仕草ともよく似ていた。
私と仲間は、次の駅で降ろされた。頬を切る風の中、警備隊へ引き渡されながら、私は駅を出る汽車を目で追った。
夜目の効く我々に北限の常夜は白い。その最果ての国へ、一続きの灯は流れてゆく。いくつもの遠吠えを聞いた。狼か、狼犬か。その違いに意味は無かろう。
全天を横切ってオーロラ。匂いがしないかと立てた鼻に冷気が刺さり、大きなくしゃみが出た。
(了)
頑なに帽子もコートも取ろうとしないのは耳やら尻尾を隠しているせいで、狼は狐よりよほど化けるのが下手なのだ。近くにさりげなく座る中年男二人は恐らく用心棒の狐たちで、こちらはさすが人間としか見えない。
数々の保護策も空しく狼は減る一方で、最後の手として極北にあるという狼の国へ全ての狼が集まることとなった。少年たちも恐らく、自国からそこへ向かう途上だろう。
汽車は北上を続け、ここ数日は陽を見ない。地を覆う雪は闇の中ですら白く、その上を風ばかりがうねる。冷たい窓に鼻を付け、一番幼い狼が外を見ていたが、飽きたらしくデッキへとことこ歩いてゆく。兄らしき少年は席で眠っており、他の者はお喋りに興じて気づかない。
私がデッキへ出ると、案の定ちび狼は一人きりで遊んでいた。危ないよ。声をかけると、やっと警戒する気になったか表情が強ばる。周囲に誰もいないのを確かめ、私は帽子を取る。
――なに、心配ないよ。おじさんも狼なのさ。
私の耳を見てすっかり安心したのか、ちび狼は真似して帽子を取った。紛れもない狼の両耳がぴんと突っ立っている。
――おじちゃんも狼の国に行くの?
――そうだよ、坊やたちと一緒さ。だから感心しないね、こんなところで一人になるなんて。狼の国に着く前に悪い奴に連れて行かれちゃうよ。
狼が数を減らしたのには理由がある。ふかふかの毛皮、闇を見通す目、美しい牙。そして今や、数が少ないというそのこと自体に大きな価値があった。
用心棒がついていても、国に着くまで安心はできない。この汽車の中にだって狼を狙う者が紛れ込み、警備の目をくぐらないとも限らない。
この私のように。
――ぼく、怖くないよ。ちょっとオーロラの匂い、嗅ぎに来ただけだもん。
――そうかい。じゃ、窓をごらん。そろそろ見える頃合いだ。
私はさりげなくちび狼を抱き上げた。夜空にはオーロラが踊り始め、あちこちの席から歓声が上がる。それに紛れ、隣の車両に続くドアへ手をかけた。そこには仲間が待ち受けており、狼を捕まえ次第、次の駅で降りる手筈になっている。
私は人間に化けた狼ではない。
人間に化けた狼に化けた狐だ。
途端、背後でばたんとドアの音。ちび狼を抱く腕が何かに喰らいつかれた。悲鳴を上げた私の腕からちび狼がさっと引ったくられる。
よろめきながら顔を上げると、少年のひとりが仁王立ちになっている。さっき眠っていた兄だ。両腕で弟を抱え込む姿こそ人間だが、鼻筋にしわを寄せて歯を剥き出す顔はいっぱし唸る狼だ。
その形相に私の両耳が思わず後ろへ寝たが、なんのなんの、化け比べならこちらに分がある。
元の車両へ駆け戻ろうとする兄弟の背中へ、余裕たっぷりに声をかけてやった。
――ま、確かにこの汽車は狼の国行きだろうがね。君ら二人は入れてもらえるものかね?
少年の足がぎくりと止まった。
――匂いで分かったが、いやはや狼に化けることにかけちゃ君らは私以上の上手だ。狼犬が狼のふりして、移住枠を取るなんて。
狼犬もまた、狼と同じ理由で狙われる。ただし、狼の国へ呼ばれているのはあくまで狼。
狼の楽園たるあの国も、狼犬まで受け入れられるほど広くはないのだ。
――元の国で胸を張って生きていくほうがよっぽど楽じゃないかね。なに、多少の不自由はあるだろうが、私に任せれば悪いようにはしない。
狼犬の兄は、力無く床に目を落としている。
――君らがあの国に入ることで、向こうにいる君の友達の誰かが落っこちるかもしれない。
私の一押しでついに立ちすくんだ狼犬のそばで、ドアがぱっと開く。
――お前ら、狼犬ってほんとか。
他の少年たちだ。やはり二人の素性を知らなかったと見える彼らへ、私は大げさに肩をすくめた。
――どうしよう。お前ら、入管から先へは行けないぜ。
どうもこうも、その通りだ。今後の稼ぎのためにも騒ぎにしたくなかったが、狼犬二人手に入れば上出来だ。万策尽きた少年たちを後に、私は二人を引っ立てて仲間の車両へ移ろうとした。
が、そこからどたんばたん物音がする。はっとガラス越しに中を覗くと、なんと仲間が一網打尽になっている。それを囲む乗客たちは……
狼、狼、狼。いや違う、残らず狼犬だ。
――狼狩りが出ると聞いてね、張ってたんだよ。
ぎくりと振り返ると、狐の用心棒二人が立っている。
――坊やたち、手癖の悪い同胞で済まないね。さあて御同輩、この汽車は特別仕立てでな。俺たち二人とあんたらが狐、それからこの子ら狼以外は全員、狼犬が乗り組んでるのさ。
狼の、狼犬の、何対もの目が突き刺さる。
――確かに狼犬はあの国へは行けない。だからこの汽車に住んで、狼たちを送りながら自分たちの身も守っているのさ。
狐の用心棒は、狼犬の兄の肩へ手を置いた。
――君らのことは俺たちも気の毒に思うよ。ここにおいで。座席はあるし、こういう奴らをとっちめる人手も要る。あの国へはやれないが、化け方ならいくらでも教えてやろう。
少年たちのリーダーと思しい狼が、兄弟へ顔を寄せる。
――ごめんな。俺たち先に行くけど、きっとあの国の法律を変えて、お前らも住めるようにする。だから、もう少しだけ頑張ってくれ。
狼と狼犬が鼻をくっ付ける。その仕草は狼同士と変わりなく、私の目からは狐の仕草ともよく似ていた。
私と仲間は、次の駅で降ろされた。頬を切る風の中、警備隊へ引き渡されながら、私は駅を出る汽車を目で追った。
夜目の効く我々に北限の常夜は白い。その最果ての国へ、一続きの灯は流れてゆく。いくつもの遠吠えを聞いた。狼か、狼犬か。その違いに意味は無かろう。
全天を横切ってオーロラ。匂いがしないかと立てた鼻に冷気が刺さり、大きなくしゃみが出た。
(了)