小噺帖

極小一次創作。よそで作った三題噺や都々逸の一時的集積所。
極小一次創作。よそで作った三題噺や都々逸の一時的集積所。
蔵出しその2(3件)

蔵出しその2(3件)

018:ハーモニカ

 下位の者が身に着けるのを許されない「禁色」という色が存在した時代から幾星霜、この世の色という色は商品となった。

 色を買い占めたのは一人の富豪で、彼は「色王」の名で呼ばれた。人々に許されたのは自ら持って生まれた体の色と、衣服のための黒と白。他の色はみな色王に法外な金を払わねば使うことができず、絵画も服飾も凝った料理もみな一握りの金持ちの娯楽だった。
 これに逆らい、ある者は色とりどりの糸を縒り合わせて黒に見せかけようとした。またある者は協力者たちから様々な色の髪を譲り受け「持って生まれた色」のみで服を編もうとした。が、いずれも色王の逆鱗に触れ、生涯最高の色を与えてやるとの名目で刑場に赤い血の花を咲かせた。

 かくて庶民の間では、白黒二階調で描かれる模様や切り絵が大きな発達を遂げ、それらを使った影絵芝居もさかんに行われた。ちまたのガス抜き効果を考えてか色王もさすがにこれは咎めず、影絵芝居は庶民にとって最大の娯楽となった。
 その音楽にはいろいろな楽器の名手や美しい声の歌手が幾人もつき、芝居にとって欠かせぬ存在である。
 色王はまだ気づかない——彼らが自由に操り、人々を楽しませているものこそ、音色・声色と呼ばれるものであることに。

025:のどあめ

 貧しい機織り娘が街の人気歌手に恋をした。
 身分違いを知りながらも娘は織った布を捧げ、想いのたけを告げたが、歌手はすげなく跳ねつけた。身の程を思い知った娘は、さよならと一言呟いて雑踏に消えた。
 その途端、歌手の手の中の布がさあっと鮮やかな青に変わった。
 驚いた彼が布へ自分の声をかけると、布は深い紅色になった。娘の布は特別な織り方をされていて、当たった音の波によって繊維が動き、光の照り返し方が変わるのだった。
 歌手はその布を衣装に仕立てさせ、舞台で着るようになった。歌によって極彩色に移ろう服は彼の美声とともに評判を呼び、彼はいつしか売れっ子になっていった。
 だが彼がいくら声を工夫し、歌に技巧を凝らしても、青だけはどうしても出なかった。
 はじめ熱狂的に彼の歌を聴いた人々も、次第に服にばかり目がいくようになった。その服が青にならないと知れ渡ったのはすぐで、青色が出ないのは彼の歌唱力不足のせいだと人々はしきりに囁いた。

 それでも、歌手はその服を脱がなかった。
 もはやその服なしで名を保てなかったこともあるが、一番の理由はほかでもない。
 売れっ子の彼に向けられる言葉は、たいてい彼の服をろくでもない色に変えた。騙そうとする言葉、哀れむ言葉、媚びを売る言葉。相手がどんなにうわべを繕っても、服はその響きを見抜いて色を変える。
 騙されてたまるか。相手の狼狽を横目に、彼は心で呟くのだった。

 事故は舞台で起こった。これまでで一番大きな舞台で、歌手は今まで以上に熱をこめて新曲を披露した。服はその声で七色に移ろい、人々は耳と目で酔いしれた。
 その時、客席から野次が飛んだ。ライバル事務所の嫌がらせだったが、不意を突かれた歌手は歌詞を飛ばし、思わずつかえて黙った。
 バンドマン、客席、全員が凍りついた中、彼はどうにか立て直したが歌い出しの声が震え、その途端に服は灰色に濁った。
 客席からブーイングがとんだ。それは瞬く間に広がり、歌手の声をかき消して服の色をどす黒く変えた。
 と、騒ぎを突いて、声が彼の耳を貫いた。

 ——頑張って。

 途端、服が目の覚めるような青に変わった。
 観客は水を打ったように静まり、歌手は満座の客席の隅っこの隅っこに、あの機織り娘を見つけた。
 彼が再び歌いだした時、服は今までで一番美しい紅色に変わった。

 二度のアンコールが済み、幕が下りると、歌手は舞台から駆け出した。出口の物陰に隠れ、興奮さめやらぬ人々を目で追う。
 と、あの機織り娘が逃げるように出て行く姿が映った。彼は駆け寄り、声を掛けた。
 ——ねえ、きみ。

 娘はぱっと振り返った。まず柔らかな黄色に染まった服が目に入り、相手の顔が目に入った。

038:地下鉄

置き忘れのビニール傘を取りに来る人間はまずいない。ターミナル駅ともなればなおさらで、棚にひっそり並ぶ傘たちは忘れ者というより漂着物に近い。
その傘をもらいに来る者たちがいることを知るのは、駅員の中でもごく一部だ。

深夜、事務室のドアを小さく叩く音がする。遅番の駅員がドアを開けてやると、それが立っているという。
それは小さな子供の姿だったり老人だったり、あるいは何ともつかない見た目をしていたりする。が、みな古い着物を着て背を丸め、押し黙っているのでそれと知れる。
保管期限切れの傘のうちきれいな幾本かを駅員が見せると、それは気に入った一本を抜き取り、室内にも関わらずぱっと開くと、差したままどこかへ去るという。
害は特にない。

それらの正体をわざわざ探った駅員はいない。が、それらが来た日には必ず、駅の近くでどこかの店が畳まれているとか。
——再開発で商店街が立ち退いた時期は、一晩に四人も五人も来ましたっけ。
やっぱり自分の居るとこが欲しいんでしょうね。年かさの駅員は語る。
——あのヒトら、一体どこへ行くやら。