古い平屋だが、庭があったので借りている。
猫の額のようでもちゃんと植物は育つと見え、にわか知識で植えたいくばくかのハーブも形になってきたので、どうしようもなく腹が立つ時は、ガラス戸を開けてぼんやり庭を眺めることにしている。
座り込んだ目の高さは、ハーブの森と大差ない。その中に時折、ぼろぼろの人がたたずんでいるのが見える。
私はそれをわるくちの神様と呼んでいる。ひとに嫉妬したり、仕事が上手くいかなかったり、どうしようもなく荒れた気分の時にだけ現れるからだ。
わるくちの神様は何も言わず、眉ひとつ動かないので、何を考えているのか私は知らない。髪も服もぼろぼろのまま、じっと立っているだけだ。新しい服を置いてみたこともあるが、いつも手付かずのまま残されていた。
だから最近の私は毎度、その足元のローズマリーを勝手に摘み、熱湯を注いだだけのお茶にしている。わるくちの神様もそれは飲むので、二人で黙ったまま、そよぐハーブの森を眺めている。