遊園地の一番人気は街並再現エリアだ。昭和やら江戸でもなく、外国でもない、ただの住宅街が1ブロック再現され、人々はどの家にも自由に入っていける。家の中には家財道具がひと揃い、それも食器はシンクの食器かごに立てられ、学校のお知らせが壁に貼られ、まるで今まさに誰かが住んでいて留守にしているありさまだ。人々はそんな「誰かの家」をそぞろ歩き、「誰かの暮らし」を垣間見、「誰かの気配」をなでさする。僕の気に入りは奥から二番目の家の押入れだ。上の段の布団に寝転ぶとサッシ戸を通して六畳間に日光が落ちる。実家は完全にフローリングだったから、そのむかし行儀が悪いと眉をひそめる母の目を盗んではベッドの中で駄菓子を食ったその匂いが蘇るのは不思議だ。
とは言え今は勤務中なのだ。僕の仕事こそは、この家々に住み込んで、人々がいじった家財道具をそれとなく「自然な」「誰かの家」の状態に戻すこと。ただの住宅街と言ったが、この街並をそう思うのは僕の世代までだろう。少子化と独居が進んだ現代、家族の暮らしなどもはやレアケースだ。僕が今そっと戻した座卓の上の湯呑みの柄は、実家のマグカップよりも鮮明で近しい。
「一か月後に巨大隕石で地球滅亡」の予測に、ひと握りの有力者と富豪は地球を脱出。翌年の平和賞は天文学者だった。
卓上の古い天気管にひどい結晶ができている。夕方、雲が怖いような勢いで流れていたので、やはり嵐が近いらしい。
山の上の砦は砦というより小屋で、屋根が鳴りっぱなしのぎしぎしの奥から風音がうねり寄せてくる。もう慣れたことではあるが、時折それがひときわ強くなるのはまだ恐ろしい。そんな中で天気管の結晶の葉脈は信じられないほど精密だ。あまり覗き込むなよと先輩が言うが、見ていれば気が紛れるので、僕は細い一筋一筋を目がつりそうになるまで覗き込んでみる。
と、葉脈がざわりとそよいだ。いや、それはそもそも結晶なのだが、しかし葉というよりは羽毛に似たそよぎで、いや羽毛というよりむしろ翼で、その翼がほどけて顔が現れた。
巻毛のうつくしい子供の顔だ。
それがにっと笑い、翼が再びそれを覆い隠し――ひときわ大きな風が砦を揺らしたはずみにランプが消えた。
恐慌をきたした僕に構わず先輩が点け直したランプの灯の中、天気管の結晶はほとんど消え去り、台風一過を示していた。
だから覗き込むなと言ったろう。ランプを机に置き、先輩が冷めた目で言う。あの、あの、天気管を指さして言葉の出ない僕に、そりゃ空模様を見る道具だから空の中の連中も見えるさと先輩は事も無げだ。
駅前再開発に対抗して商店街に鳥が放たれた。さまざまなニワシドリが並べる巣を商店街は店舗とし、サギの巣のコロニーは近隣住民のアパートとなった。こうして野生動物保護の観点から再開発が一時見送られたと思いきや、そこに飛来した大量の野生化インコ駆除の名目で保健所に率いられた行政が乗り込み人間は大乱闘に。事態を打開したのは迷い込んだサルで、一匹がニワシドリの店舗から何かを買うしぐさを見せると同時に他のサルも山から下りて商店街で爆買いを始め、それに伴って降りてきた動物が商店街を大量利用。ムクドリの群れが大量に落とした糞は地を活性化させ、めきめき繁る草木は駅前を再野生化した。
破産した私に借金取りが勧めた高額バイトはバールのような物を使うらしい。強盗ではないから大丈夫大丈夫と何の慰めにもならない慰め方で連れられた先は廃倉庫で、巨大な魔神像の前で儀式が行われており「生命保険の1%は実家に払っとくから」と言われながらそのバアルのような者に魂を喰われている。
会社で新作アプリがローンチとなり、不具合等々の対応のため、ただでさえ遅い私の帰宅時間はここ二週間ばかり遅れに遅れている。ともあれその甲斐あってかアプリのDL数も評価も順調に伸びており、ようやく落ち着いた週末、今日はチームで打ち上げに行こうと話がまとまった。
うきうきというより安堵して仕事を片付けていると、スマホからメッセージ着信音がした。
ホーム画面を見ると、新着1のバッジがついているのは見覚えのないアプリだった。アイコンは茶色一色で、名前は「いぬ」だけ。
どきりとして開くと、SMSに似たメッセージ画面。発信者のアイコンは、ついこの間撮った私の犬……日々、ほぼ一日中留守番を強いられている犬だ。
メッセージはただ一行。
〈まま。はやく。かいってきて。〉
一時間後。亜音速で帰宅したた私の膝の上で愛犬がくつろいでいた。打ち上げなどどうでもいい。この子に比べれば。
が、愛犬といちゃつきながらどこかで気になるのは、あの謎の犬アプリのことだ。
さっき閉めたカーテンの向こうのガラス戸には、この犬の肉球跡が大量にあるわけだが、その意味に私はまだ気づいていない。
北斗七星の持ち手へ沢の音
天に昇る龍がふらふら春一番
プラごみも還りたいのか草いきれ
少しでも少しずつでも蜘蛛の飛ぶ
憎むとは自傷行為か油照
富こそは欲張りの罰冬木立
ケロシンを呼吸する底冷えの土間
電飾を巻かれショベルカーも聖夜
冬将軍叩き出される暖炉ばた
ラーメン冬の季語とす最寄駅
ハンドルは浮き輪残業明けの雪
あったかいもんが食いてえ懐手
うつくしい雑種と居りぬ冬座敷
世が終るみたいにクリスマスイルミ
飼い犬と保健所の犬聖誕祭
帰り道、盲目の謡唄いの先生は聴き慣れぬ音を追って路地に入り込み、何かとぶつかった。実のところそれは音楽ライブ用の楽器ロボットというかロボット式電子楽器で、何らかの音楽らしきものを感知すると搭載AIがそれに合わせて即興で音楽を生成し、再生するのだ。つまりここは少々遠い未来で、型落ちになったロボットが不法投棄されているのだった。
相手を触ってみて、どうやら人の形をした作り物であることを理解した先生は、供養のため琵琶を鳴らしてみた。と、辛うじてバッテリーの残っていたロボットが感知して別パートを奏で始める。先生は肝を潰したものの、すぐにそれがさっき聞こえてきた音であることを了解し、愉快さが勝ってそのまま唄い始めた。それに呼応してロボットが新たな旋律をかぶせる。
実のところこの時代の人間は汚れきった大地を捨てて宇宙へ旅立っており、二人の奏でる謡がこの地上最後の音楽なのだった。即興ライブが終わり、どういう理屈からか先生が元の世界に戻り着いた頃、ロボットはたった今の演奏を保存し、有効状態になっていた自動再生機能で再生した。それを遠い空の人類が聴くことはついに無かったが、大地を人の手からやっと取り戻した黄泉のもののけたちがその周囲で舞い踊る。その筆頭は先生――もちろんとっくに彼岸のひとりとなった、この時代の先生だ。かくて電子と魍魎が幾重にも呼応して謡は無限に層を重ね、ヒト無き世界を彩ってゆく。
聞き取れない言葉でお喋りしながら行き過ぎる中学生の一団は、かに座星雲からの修学旅行生だ。その横で、アルタイル星系からの研究者と地球の天文学者がデバイスを覗き込んでいる。
地球が他星からの旅行者を受け入れるようになって、実はしばらく経つ。そのことは一般公開されておらず、また受入対象も今のところ、彼らのような学生あるいは研究者に限られている。
知的生命体のいる星は数多いとはいえ、宇宙の辺境たる天の川銀河内では地球ぐらいで、これまで他星の興味を惹くことは皆無だった。が、ここしばらく、(おのおのの星から見た)星座の星を巡るツアーが全天でブームとなった。太陽を星座の一部に含めている星がいくつかあり、その流れで地球にも外宇宙の客人が来るようになったのだ。とはいえ文明の発達度もまだまだ低い地球のこと、当面は学術的交流に留めておこうということで、地球側と宇宙観光協会の見解が一致し、今に至る。
太陽は、アルタイル星系文明から見ると「いしぶえ座」(という楽器がある由)の足ノズル(?)であり、かに座星雲方面の星系文明では「雪の大結晶」の一角を成すらしい。中学生たちが描いてくれた大結晶の天文図と、地球の受入スタッフが描いたカニの絵が交換され、カニとは似ても似つかぬ、水とカンラン石の中間のような中学生たちがきゃっきゃっと笑う。
アルタイル星系の老学者によると、かの星は現在、超新星爆発の最中だという。幸いそこの全生命体は数世代かけて安全な他星系に移住を終えており、それを生涯の仕事としてきた彼は、引退後の趣味として星巡りをしている。アルタイルを星座にしている文明は全天で三十七、地球が最後だそうだ。
――よその星からならまだ肉眼で拝めますし、うちの星を覚えてていただいてるわけですからね。ありがたいですよ。
そう言って彼は、冬の大三角形を写真に収めた。
おばけだぞーの声にドアを見ると、シーツをかぶった息子が部屋に入ってきた。まだ五歳のこと、余ったシーツがずるずるたなびいて愛らしい。とはいえそのまま膝に上がってくる重さには、赤ん坊の頃を思い出して感慨深くなる。
「お化けさん、うちの子はどこに行ったのかな」
「食べちゃったあ」
くすくす笑うシーツに、おやおや悲しいねえと返しながら口元がゆるみ――ふとこわばった。
こんなに重かったか、この子は? だけでない、心なしか頭の位置も高いような……
くすくす笑いが二つになっている。反射的にドアを見ると、笑いながらこちらを覗き込んでいるのは当の息子だ。ぞっとした途端、膝の上のそれがシーツをぱっと脱ぎ捨てた。
子ども二人分の大笑い。膝の上で笑い転げるそれは真っ赤な肌に長い牙で、頭には二本の角があった。
「オークのジャンディだよ、パパ」
息子が紹介すると、そいつは床に飛び降りてぴょこんとお辞儀した。
「えーと……幼稚園のお友達かな」
「そんなわけないじゃん」
息子が得意げに言う。そんなことは分かっている。この場合、他にどんな言いようがあるというのだ。
「うちのクローゼットがジャンディのお家につながったんだよ」
「どうして」
わかんなーい。小児二人が声をそろえた。うん、なるほど。ナルニア国パターンね。対処しようのないやつだ。
しかし、となると問題がいくつか。
「ジャ……ンディのお家の人は、うちを知ってるのかな」
「うん。おんなじイタズラしたら、びっくりしてた」
だろうね。うちの子がご迷惑おかけしました。と言うか躊躇なく訪問済みなんだな、オークの家を。
まあ、生還できたところを見ると話は通じるらしい。最大の懸念はこれにて解決……
「パパがモンスターのお話を書く人だって言ったら、すっごく喜んでた。ご本読みたいって」
「そうか……」
ため息が漏れた。
確かに息子にはそう説明しているし、私が物書きなのも間違いない。
ただし、正確には、ゴーストライターと言う。
私の書いた本は何冊も世に出ているし、版を重ねているものもある。
が、その中に、私の名前は一切ない。
世間を偽り、息子にも嘘をつき、自分もごまかす、文字通り幽霊のような身である。いまさらモンスターにびびる資格とてないだろう。
「どうも、息子がお邪魔しております」
いきなりの胴間声に、思わず椅子から飛び上がった。
見るといつの間にか、ジャンディを二メートル半に拡大したような堂々たるオークが立っている。
「失礼ながら、心を読ませていただきました。というか、反射的に読めてしまうのです。ご事情よく飲み込めましたよ、理不尽ですなあ」
呆然とする私を前に、オークはとうとうと続けた。
「わたくし、職場が地獄でして。嘘つきを罰するセクションなのです。いかがでしょう、もしお望みでしたら、あなたを使って利を得ている輩どもの地獄行きを早めるようサタン様に掛け合い……」
「いやいやいやいや」
モンスター客のようなことを言い始めた相手を慌てて止め、ごくりと唾を飲み込むと、私は話し出した。
「僕も、正々堂々ゴーストを返上したいのです。ひとつ、そちらの世界を取材させてもらいたいのですが」
「もーちろん、大歓迎ですよ」
甲高い別の声。
見ると、戸口に巨大なシーツが揺れている。
「アタシら幽霊も、ニセモノの代名詞代わりにされちゃたまりませんからね」
硬直する私の肩を、オークが万力のような手で掴んだ。
「魔界の総力を上げてバックアップしますよ。ひとつ、ご家族ぐるみのお付き合いを願いたいものですな」
その背後から無数の歓声が湧き起こった。
文字通り、地獄の一丁目に踏み込んだらしい。